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天国とはどんな喜びがある場所なのか㉓

結婚愛 No.23、24、25、26

 前に投稿した「天国とはどんな喜びがある場所なのか㉒」の続きです。こちらからお読みの方は、そちらからお読み下さい。

 ゲストたちが入った礼拝堂は、広大な半円形をしていて、ベンチやイスも礼拝堂の形に従うように丸くなって取り巻くように続いています。

 ベンチの前にある説教壇は、中央より少し奥にあり、説教壇の左後ろに出入り口があります。

 天使は、ゲストたちにどこに座ればいいかを示して、次のように言いました。
・この礼拝堂に入る人たちは皆、自分の座る場所を知っています。それがわかるのは、本能的なものからです。他の場所には座りません。

・仮に、自分の席以外のところに座ると、何も聞こえないし、感じられなくなります。

・しかも、秩序を乱して、祭司はインスピレーションを感じられなくなります。


 会衆が集まると、祭司は説教壇に登って、英知に満ちた説教をしました。

 その説教は、聖書の神聖さについて、また聖書を通して、霊界と地上の世界が神と結ばれることについてでした。

 その説教によって「聖書が神聖なものであり、神によって口述されたものであること」がハッキリと確信させられました。

 また、神ご自身が聖書の中におられ、だからこそ、神(主イエス・キリスト)こそ、聖書の中の英知(知恵)であるということです。

 英知は、聖書の中の英知ですが、文字通りの意味の下に隠れています。

 つまり「教えの真理を知って理解すると同時に、善良な生活を行った結果、神のうちにある人、その人の中に神が宿っている人」でなければ、その英知は人に現れてきません。
 
 最後に、祭司の説教は熱心な祈りで終わり、説教者は説教壇から下りました。

 聴衆も退場してから、天使は祭司に対し、ゲストたちに「何か挨拶の言葉を一言」を語ってもらえるように頼みました。

 祭司は、ゲストたちに近づき、半時間にわたり語り合いました。

 祭司が話したことは「神の三一性」についてでした。

 使徒パウロが言っているように「主イエス・キリストのうちに三一性」があり、しかも「全ての神性が肉体をまとって、一杯に満ち満ちている」という話です。

 その後は「仁愛と信仰の一体性」について話しましたが、信仰はつまり真理とイコールであることから、仁愛と真理は一つになる、という話です。


 ゲストたちは、感謝して宿舎に戻りました。天使は彼らに次のように語りました。
・今日で、この天国社会に来て、3日目です。

・神は、あなた方に対して、3日間でしたが、この天国で過ごす備えをして下さいました。

・ただ、もうお別れの時がやって来ました。君主から贈られた衣服はここで脱いで、あなた方の衣服に着替えて下さい。

 彼らが自分たちの衣服に着替えると、別れたいという気持ちになり、そこを去っていきました。

 天使は集会所まで彼らを見送りました。

 そこで、彼らは神に感謝しました。

 なぜなら、神(主イエス・キリスト)は「天国の喜びと永遠の幸せについて知ったり理解する祝福」を彼らに与えて下さったからです。


 もう一度、私スウェーデンボルグは、次のことが本当だと断言します。

 つまり、これまで語ってきた記録は「実際に起こったこと、耳にしたこと」です。

 神の思し召しで私の霊眼が開かれ、教えられなければ、この世で「天国や天国の喜びと幸せ」について誰一人として知ることはできません。

 天国や、天国の喜びと幸せについて知ることは「あなたの救い」について知ることと同じでもあります。

 霊界で同じようなことが起きたのは、使徒ヨハネが見聞した黙示録で述べられていることからもわかります。

 しかも、それは、ヨハネが霊として、天国を含めた霊界に行って目撃したことです。

 他にも、主イエス・キリストの復活の後、使徒たちが見たもの、使徒行伝11章にあるようにペテロが見たもの、さらにパウロ、エゼキエル、ゼカリヤ、ダニエルなどが見聞きしたものがあります。

 主イエス・キリストがこの世に到来する前後に、霊界に生じたものが、多くの者に見られたことは、聖書の御言葉から明らかです。

 現在、新しい教会の始まり、新しいエルサレムが神によって天国から下りてくるにあたって、同じようなことが起こってくるのは何ら不思議なことではありません。

【神保慶明の解説・補足コメント】
 今回で、23回と長きにわたって続いた「天国とはどんな喜びがある場所なのか」シリーズは終わりとなります。

 ここまで続けて読んだ下さった方、こちらから読んで下さった方を含めて、ありがとうございました。 

 前半では「天国と地獄の中間にある精霊界での出来事」、後半では「ラッパを持った天使が案内する天国の出来事」についてでした。

 まだ読んでいない方は、前に遡って読んで頂けたら嬉しいです。

 さて、あなたが読み始める前にイメージしていた天国と、実際にスウェーデンボルグが見聞きした天国とではイメージは合致したでしょうか?

 今回の最後の体験で、私が特に大事だと思った点は、次の通りです。
・聖書は人の創作などではなく、神が口述した神聖なものであること

・聖書の中に、神そのものがおられ、神は英知そのものであられること

・天国と地上が結ばれるためには、聖書の御言葉が必要であること

・神の英知を受け取るには、ただ真理を知識として知っているだけでなく、真理に従った善良な生活が必要だということ。そうした生活を通じて、神は人間の中に宿られるということ

 「神(主イエス・キリスト)」と書いているので、違和感を覚えた方がいるかもしれませんが、天国では、時空を超えた形で、主イエス・キリストが天地の創造神そのものである、というのは空気のように当たり前な事実・真理だと認められているため、そのように書いています。

 私たちの地上では、自らを物知り、知的、学者と自負している者ほど、天国でのこの当たり前の事実・真理が否定されがちであるとスウェーデンボルグは語っています。

 今後の霊界探訪記は、より男女の愛、結婚愛にまつわるテーマに関連していくと思います。

 それでは、あなたご自身のイメージを膨らませながら、次回以降にもご期待下さい。


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※日本スウェーデンボルグ協会HPからの一部、抜粋・編集
・ベルギーの象徴主義の劇作家モーリス・メーテルリンクいわく  
「愛する者は必ず賢い人の手を握る。知恵と愛は常に一つ。スウェーデンボルグの天国では、妻は❝賢者の知恵の愛❞なのである」

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