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ショートショート「マクワウリ」


僕は、地面を見るのが好きだった。
地面の世界は、僕を安心させた。
地面を這いながら、餌を集め、巣穴に持って行く、アリを見るのが、好きだった。
僕は、アリが羨ましかった。
言葉のない、アリの自由さ。
アリの小ささ。
純粋に働くだけのアリの世界が…。

僕は、既に、社会人で、会社に縛られているし、随分と前からだけど、時間にも縛られている。
大人になったからと、上司の前でも、適当に嘘を吐くし、″一般の社会人像″という、幻にも、縛られている。
色々なモノに縛られていて、雁字搦めになっている。
それが、僕だ。

ある日、会社の昼休みに、公園のベンチに座って、アリを見ながら、冷めた弁当を食べていると、可愛いリボンが付いた黒い靴が、目に飛び込んできた。
恐る、恐る、顔を見上げると、同期のマミが立っていた。
「こんにちは。」
僕に、目を合わせながら、マミが笑った。

それからの日々は、しあわせ、そのものだった。
僕は、下を向く事がなくなり、アリを見る事もなくなった。
その代わりに、彼女を見た。
マミの瞳は、キラキラと輝いていて、綺麗だった。
僕が見た世界の中で、一番美しいものだと思った。

ある日、マミが言った。
「私ね、マクワウリが好きなんだよね。おばあちゃんが、好きだったんだ!熟れたマクワウリって、メロンの味がするの。運が良ければ、300円位で、メロンの味が味わえるんだよ!とっても、お得だと思わない?」
マミの瞳は、キラキラと輝いていた。
僕は、更に、マミの事を好きになった。

僕達は、野菜市場で、380円のマクワウリを一つだけ、買った。
市場は、マクワウリの甘い香りに包まれていた。
マミは、こう、僕に教えてくれた。
「マクワウリは、買ってから、すぐに冷蔵庫には、入れないで!1日、外に出して、それから、冷蔵庫に入れて、冷やしてから、一緒に食べよう?」
マミの言葉に、僕は、
「分かったよ。」
と頷いた。
マミは、
「一緒に食べるの、楽しみだね。」
と言った。

その次の日から、彼女は、会社に来なくなり、僕達は、音信不通になった。
僕は、訳が分からなかった。
突然、僕の目の前から、姿を消したマミ…。

マミと親しかった同僚の女の子達に詳しい話を聞いたら、マミは、医者の娘だったらしく、この会社の仕事は、マミ本人が無理矢理決めて、彼女の親から反対をされながらも、勤めていたそうだ。
そして、この度、彼女の親が決めた医者の息子と結婚をする事になったのだそうだ。
こんな令和の時代に、まだ、そんな事があるのか…。
僕の頭の中は、混乱した。
僕は、マミの事を知っている様で、全然、分かっては、いなかった。
初めての恋愛の楽しさばかりを楽しんで、彼女自身の事を、ちゃんと見てはいなかった。

僕は、家に帰って、冷蔵庫から、マクワウリを出した。
そして、まな板の上に載せて、包丁で切った。

すると、マクワウリの固い皮の中から、突然、大量の汁が、ドボドボと飛び出してきた。
僕は、驚いた。
マクワウリを切って食べてみると、妙な味がしたので、慌てて、口の中から、吐き出した。
皮が、固かったので、買う時には、気付かなかったのだけど、あの時から、マクワウリは腐っていたのだ。
だから、あの時、あんなに甘い匂いがしたのだ。
僕は、何も、気付けなかった…。
マクワウリの甘い匂いが、台所の一角に染みついた。
このまま、ずっと消えなければ良いと、僕は思った。
そうすれば、マミとの思い出を忘れない…。

台所では、マクワウリの汁が、床まで流れていた。
僕には、その光景が、マミが涙を流している様に見えた。

僕は、結局、最後まで、マミの本物の涙を見る事は、できなかった。

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