打ち合わせは「働いたつもり」になる疲労を生み出すだけで、悪質な成果しか残らないし、普段成果を生み出せない輩が打ち合わせをしたがっていて「無能の隠れ蓑」になっている|小さきアプリ屋の悩み

人間は働くと疲れる。だから、疲れると「働いたつもり」になってしまう。「働く→疲れる」「疲れる→働く」が身体に染み付いてしまっている。仕事とは、成果を生み出し、その対価として、金銭を受け取ることだ。私たちのような開発屋は特に、クライアントから要求された成果物を納品し、それが受け入れられたときにしか金が発生しないので、成果が如何に大事かということを、痛感せざるを得ない。

例えば、一ヶ月、物凄く働いたとする。残業もした。休日出勤もした。とても疲れた。「仕事をした」という実感がある。しかし、クライアントから「検収 NG」の連絡が来た。要求仕様通りに開発できていなかったし、不具合も多かった。この品質では、契約通りの納品ができていないということになるので、契約不履行として、金は一円も支払われなかった。これは開発現場ではよくあることだ。珍しいことではない。この一ヶ月は、結局「働いたつもり」になっていただけなのだ。ただ無駄に疲れていただけだ。

特にこの現象が顕著なのは、「打ち合わせ」という悪しき習慣だ。私はクライアントから打ち合わせを求められても、ひたすらに、頑なに断る。それは打ち合わせが最も「働いたつもり」に陥ってしまうからだ。

打ち合わせは口頭で行われる。顔を合わせても、電話などでも同じだ。その口頭での発言が、正確に記録されることは極めて稀だ。つい五分前の発言に対して、指摘や反論を行ったら、「そんなことは言っていない」と反応する人がかなり多い。そう、お互いの記憶に頼った打ち合わせは、好きなだけ無かったことにできる。お互いの思い込みで、物事が決定したことになってしまう。翌日には、お互いに都合の良い解釈に咀嚼されていて、正確な記録が存在しない為、絶対にどちらが正しかったかを判断することはできない。

打ち合わせは、成果が非常に曖昧で、決定したことが無かったことにすらなってしまう、最悪な「働いたつもり」を生み出してしまう。「あのとき、こう言いましたよね?」「いや、言ってない」となって、同じ打ち合わせをまた行う。馬鹿の極みだが、それを改善する動きはない。

それは結局、契約上は、クライアント側が非常に強いからだ。検収 NG を突きつけるのは、クライアント側だ。

だから私は、請負側として、頑なに打ち合わせはしない。最終的に大損するのは、請負側だからだ

打ち合わせをしないなら、どうするのか?

そんなのは簡単だ。全ての記録が残る、チャットやプロジェクト管理ツールで「課題化」すればいい。全てを。こうすれば、絶対に言い逃れは出来ない。

非常にマメですね

と私はよく言われる。全ての課題をツール上に記録するし、口頭で発生してしまった些細な事柄も、全てツール上に記録して、全ての件について相手に同意を求めるからだろう。だが、そうしないと大損するのは私たちだ。何百万円の契約が0円になる、全社員が給料を受け取れなくなる、その悲惨な状況を身を以て過去に何度も体験していたら、この程度、労力でも何でもない

口で話すと、人間はとても疲れる。疲れると、「働いたつもり」になる。だから、打ち合わせの後に議事録を正確に残す作業はなかなか腰が重くてできないし、そもそも、人間の能力では正確な記録は不可能だ

よく考えてみてほしい、口頭で打ち合わせをしなければならないケースなんて、極めて稀ではないだろうか。メリットが思いつかないし、仮にあったとしても、デメリットが凌駕する。

こうやって説いて、私が全ての記録をツールに残すと、大半のクライアントは打ち合わせを廃止してくれる。ツールを読み上げるだけの会になってしまうからだ。そんな時間が無駄なことは、誰にだって分かることだ。

だが、それでも、打ち合わせをやたらとしたがる人たちがいる。その人たちには、面白いほど共通の特徴がある。「働いたつもり」になりたい人たちだ。つまり、普段、仕事の成果が出せない人たちだ。打ち合わせをセッティングしたり、意味のない相槌を繰り返したり、そうして疲労して、「働いたつもり」になりたがっている。

即刻、打ち合わせは廃止した方が良い。

食費入力のみ家計簿アプリ「食費簿」、自慰管理アプリ「アイナーノ」、どちらも御陰様で好調です。より良いアプリ開発に役立てます。