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無くし物のはなし


僕はベッドホンをなくした。しかも自宅で。

airpodsみたいなのだと絶対なくすからなるだけデカくてなくさないやつを買ったのに。

僕はベッドホンをなくした。しかも自宅で。


 自宅でなくしたのならすぐに出てくるだろうとお思いのあなた。物事はそう簡単に出来てはいない。

ホコリがたまるベッドの下、積み上げられた本の隙間、もう数年コンセントすらさしてないテレビの裏。

ありとあらゆる場所をくまなくじっくりと捜索したが出てこないのだ。これはもはや、無くし物のレベルではなく神隠しとかそういった類のレベルだ。そのレベルで見つからないのである。自宅でなくしたのに。



 無くし物の思い出。ラジオ体操のスタンプ、ファンタピーチのスッとする炭酸、ザリガニが釣れた時のグッとなる重さ。小学3年生の時の8月31日。長かった夏休みの最終の日。多くの子供たちがそうであるように僕もまた死んだような顔をしていた。

小学生における夏休みの義務、そう、夏休みの宿題である。自由研究、読者感想文、学習ドリル。そういったものは割と適度にすんなりこなしていく要領だけあったので問題なかった。

問題だったのは、挨拶をしたとか勉強をしたとかそういうのを毎日記録する表みたいなやつだ。

多くの子供たちがそうであるように僕もその表みたいなやつを毎日丁寧につけることなど出来ず、最後にまとめてパパッとやっつけてしまおうとしたていたのである。しかし、その表みたいなやつが見つからない。家中探しても見つからないのだ。


 小学生の見ている世界とはとても小さい。学校と自宅。それを取り囲む形である「学区内という箱庭」。両親の車に乗せられて外の世界に出るイベントがあるとはいえ基本はこの箱庭の中にすべて収まる。トゥルーマンショーみたいだ。(トゥルーマンショーが公開されたのは大体この頃だったと思う)

その小さな箱庭の中での失敗は、ある意味で世界の終わりと同等の意味を持つ。僕はそれを恐れていた。真面目というよりはなんとなく決められたルールは守るものでそうすべきだと思っていた。

だから、その時の僕にとって表みたいなやつを9月1日に提出出来ないことは失敗以上の何ものでもなかった。我ながらかわいい。

そうした訳で8月31日夜に、多くの子供たちがそうであるように僕もまた死んだような顔をしていたのである。レールから外れていく恐怖感みたいなものを感じながら。

まぁ、その数年後に僕は結構ガッツリとレールを外れていくことになるのだけれど。

 9月1日の夜、僕は割とスルッとしていた。
先生に、あの表みたいなやつを毎日丁寧に一生懸命書いていたのだか、ある日うっかり無くしてしまったと正直に話したのだ。すると、なんかすんなりと何も書かれていない新しい表みたいなやつをくれたのだ。ほんとすんなりと。

自分が思っている以上に他人にとって割とどうでもいいことがある。すごく気を使って対応したのに本人は全然気にしてなかったりする。その逆もあるから気を使わないにはこしたことはないんだけど。

ちなみに表みたいなやつは半年後の春休みになるかならないかの頃に見つかった。天然で割とぼんやりしている母の特殊能力、「容赦のない収納能力」によって、封筒に入れられた状態で戸棚の中にしまわれていたのである。見つからないわけだ。



 僕の自宅に容赦なく収納する母はいない。今は実家でお手製の布マスクの制作に勤しんでいるらしい。

そういえば、ベッドホンを探している最中に消毒液のボトルを発見するというちょっとした奇跡があった。

しかし、まだベッドホンは見つからない。
自宅でなくしたのに。

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