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メモ/ソーシャリーエンゲージドアート、関係性の美学、社会の為の芸術、ポストモダンアートの流れの整理

最近のソーシャリーエンゲージドアートという言葉の使われ方などに認識のズレがあることがわかったので、自分の認識している大まかな流れをメモとして書きます。微妙に間違いもあるかも。



「芸術の終わった後」

まず、80年代に入って全て出尽くした感じになった「芸術の終わった後」の時代が始まる。同時にHIP HOPのカルチャーから既存の物をサプリングして新しい物をつくる技法が開発され、この技法がアート界でも流用されポストモダンアートなどと括られるやり方が確立される。


二つのポストモダンアート

ポストモダンアートは大まかに2つの方向性にわかれる。2つはこれまでアートの歴史の中で開発された作品群からサンプリングすることは共通するものの、目的が大きく違う。

「社会の為の芸術」

社会の為の芸術とは芸術の為の芸術とされるモダンアートに対して、アート歴史の中で開発された技法を使って、社会的な問題、個人的な問題を鑑賞者に問いを投げかけたり、気付きを与えることを目的にしている。プロジェクト型の作品、リサーチ型の作品はこれに該当する。どちらかというとマーケットから距離を取りながち。

マーケットベースのポストモダンアート

アートマーケットでの販売を前提とした戦略として過去の作品群からサンプリングする技法。過去の作品を部分的にサンプリングしてその作品の持つ文脈を自分の作品に取り込み、関連付けることで意味の重層化構造を作り出す。サプリングされた部分から参照元の作品の文脈を読み解き、理解していくプロセスが発生するため美術史の知識と読み解く能力が試され、より知的な鑑賞経験を提供する。また、過去の作品と関連付けすることで系譜を明らかにし、その系譜に紐付く作品として価値を担保させる。


関係性の美学

90年代初頭に社会の為の芸術タイプの作家たちが過去のコンセプチュアルアートをサンプリングするネオコンセプチュアルアートという流れが出てくる。彼らは、過去のコンセプチュアルアートの技法を使い、自分自身のアイデンティティ、個人的な問題を主題に制作する。またゲイや非西洋などのマイノリティな属性を示し、マジョリティである男性的、西洋中心な美術へのカウンターの意味あいも持つ。同時期に高まりを見せていたカルチャラルスタデーズに対応していた。

ニコラ・ブリオーがネオコンセプチュアルアーティストの一部の中にある「関係性」を作り出す作品群を「関係性の美学」とラベリングする。この流れは同時期に起こっていたクールブリタニアの流れに乗ったYBAのマーケットでの成功に対するカウンターとしての意味合いがあり、資本主義vs社会主義という構造に置き換えることが出来る。


関係性の美学への批判

関係性の美学で語れた関係性は善的でユートピアのようなものであったが、必ずしもそうではないと批判を受けることになる。関係性は必ずしも善的ではないし、関係性の中で搾取は起こり得る。また関係性の輪の中に入れる人たちはいいが入れない人たちはどうなるのか。結局、内輪だけで完結したユートピアではないか。と批判される。


ソーシャリーエンゲージドアート

ソーシャリーエンゲージドアートは、近年出てきたより福祉や社会的問題の具体的な解決に比重を置いた作品群をラベリングした物。

社会的問題を解決することやコミュニティを形成するタイプの作品を関係性の美学を使わずに説明するために有効。

アートセラピーのような具体的な目的が設定されており、その方法にアートの技術を流用する形に近く、「より社会性に比重が置かれた社会の為の芸術」である。



12/1 追記。ここから下は間違っている可能性が上より高いので話半分くらいに…。



別のモダニズムの可能性

モダニズムを語るとき西洋中心で語られることになるが果たしてそうなのか?非西洋におけるモダニズムの可能性を検討する流れが起こり、それらを複数形のモダンとしてモダンズという言葉で括られる。また、一つの国や地域に縛られて語るのではなく、移動や別々の物が組み合わせれて生まれるモダニズムの可能性をニコラ・ブリオーがオルターモダンという言葉で括る。西洋中心に対する非西洋のカウンターとしての側面もあるが、非西洋のモダンアートの価値付けする戦略でもある。具体、もの派の近年海外での再評価はこれに該当する。またラトゥールのようなモダンはまだ起こっていない「ノンモダン」という立場もあり、複数の形式のモダニズムが乱立している。



人間中心主義への批判

近年の哲学的動向である「思弁的実在論」はざっくりいうとカント以降の人間中心的な視点で物を捉えてきた哲学を批判し、そこから脱するプロジェクトである。

文化人類学者のカストロが提唱した「多自然主義」は、1つの世界に複数の文化(世界の読み解き方)があるモデルがポストモダンならば、複数の自然(ここでの意味合いは世界とか世界観に近い)に1つの文化(世界の読み解き方)があると言うポストモダンを反転したモデルで、それぞれの世界に合わせた文化(世界の読み解き方)があり、実在性があると考える。ポストトゥルースにも接続する分部がある。

文化人類学者のラトゥールが提唱する「アクターネットワークセオリー」は、特定の効果を基準に人や物などが組み合わせ単位(アクター)で扱う。(人と自転車が組み合わせれてアクターになることで30キロのスピードで移動という効果が生まれるみたいに考える。)考え方としては、個の主体性を前提にしたモダニズムの前の前近代的な捉え方に近い。


こういった哲学的動向の影響により、ポストヒューマン、ポストアポカリプス(人類滅亡後の世界)のような脱人間主義の流れ。個よりも集団単位で構築、制作される作品。美術制度を一旦溶かして別の方式、形式への再構築。作品、展覧会の読み解かれ方をより積極的に開いていく戦略(国立国際でのヤン・ヴォー展はこれ)

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