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「現在のアートはどんな状況にあるの?」から考える現代アート入門

アートの問題として度々立ち上がる「わかりづらい問題」。アートに対する一般的な理解が広まってこの問題が少しでも解消できればアーティストとしてすごくやすくなります。その為に今回はアートのわかりづらさを緩和させることを目的に、現在のアートの前提を少し見渡しやすくしようとおもいます。という訳で今回は現在のアートの状況について書いていきます。



Q.現在のアートはどんな状況にあるの? 

A.アートいう領域に複数のゲームがある。 


以前書いた記事でも少しふれましたが、アートとは運動場のようなところでそこでサッカーや野球などそれぞれ別のゲームをしているような状態にあります。これは絵画、彫刻のようなカテゴリーのことを言っている訳ではなく、絵画の中にも複数のゲームがあるのです。



ルールがある。 

ゲームであるということは当然ルールがあります。例えばマルセル・デュシャンが発明したのは意味によって作品化できるというルールでした。

しかし、アートとは自由なものだからルールがあるのはおかしいと思われる方がいらっしゃるかもしれませんね。これは「アートはルールに縛られず自由に表現するもの」というルールのゲームがあるだけなんです。「アートはルールに縛られず自由に表現するもの」というローカルルールで全体をとらえようとするとわからなかったり、そのルールからずれてるとアートではないと思ってしまうんです。つまりは野球のルールでサッカーを観ようとしてる訳なんです。このようにローカルなルールをアートの絶対的な定義として語ってしまうと揉める訳なんです。



未確定のゲーム 

それぞれのゲームによってそのゲームの規模が違います。規模が大きければ論文や批評などによって言語化されている確率が高いので比較的簡単にゲームのルールについて知ることが出来ます。しかし、全てがそうなっている訳でもなく、一定の作家間でのみ共有されているルール(この場は作法であったりネタやミームと言い換えてもいいです)の場合もあります。作家や批評家は自分たちの共有するルールの価値を証明することがもとめられます。それが成し遂げられた時、つまりルールが多くの人に共有された時、それはムーブメントととなりイズムとなります。


関わり合う必要性 

お伝えしているようにアートは運動場の中でそれぞれが様々なルールのゲームをしているのがアートの現状です。このような状況にある中で出てくる問題が「自分たちと違うルールを共有する人たちとどうかかわるか?」という問題です。

短期的な視野でみたときにルールを共有する人たちだけで高め合っていくのが効率的です。ですが長期的に広い視野から捉え直すと、それぞれがうちに籠るような状況はどこかのタイミングで行き詰まりに陥ると僕は考えています。自分と違うルールのことを知ろうとする、自分と違うルールを共有する人たちと対話する。そういた仕方での共存が現在のアート界に求められていると僕は考えます。そのコンセプトはじょいともさんと共同主催をしている土曜会にも含まれていますし、前回の記事でご案内した12月28日のミートアップ「#art_drunk」にも含まれています。

という訳で12月28日のイベント「#art_drunk」、2月開催予定の土曜会に是非来てみてくださいー。

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