ヒロイズムとダダイズム

最近の人はこれにつきます。
冴て、意味も考えずにどこかで齧った小説の
小ネタで笑う

それはそれで良いとしても
かけ間違えているのです

ヒロインは最後に死にます
だから美しいのです
病気なんか、罹らずに
遺書なんて書かずに。
死んだことを知られることもなく

物語から消え失せていく

ダダイズムっていうのは思ったよりも難しいことだって最近知りました
だからあまり語りません。わたしには遠いです
でも語る人を少し引け目で見ます。ね

芥川龍之介っていう小説家が居ました
幸せの根源を描きながらも、
本質的な伏線に流動性が全く無い
しかしながら、物語性は完璧な真面目の小説ですね。

芥川龍之介の世界には敢えて言うけどヒロイズムは皆無。
日常や冒険そういう
枠組みではない本質的な物語を感じます。

それをヒロイズムとかいう空虚な野心で語りたく無い。
もっと違う表現があるだろうに。と思いました。

人はそうやって大多数の意見と対立する本質の、密かなる無濁さを笑う性質があります。その無濁さ 
に芥川さんの様な美しさがあったとしても

笑うのです

わたしはそれを全否定したい

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