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【続いてる写経 965日め】〜”Shall We Dance?”できますか?
月一回の香道のお稽古でした。
今回はなぜか嗅覚絶好調で全部正解。久々に表彰としての成績表をいただきました。
香席後の雑談では、来年のお初会が如水会館で開かれることから、先生の思い出に話が展開。
「昔、如水会館のダンスパーティによく行ったわ〜」
現在70代の先生の世代にとって、ダンスパーティーとは、社交ダンスのパーティーのこと。
先生が通われていた女子大には、東大や早稲田、慶応などに通う、幼なじみの男子学生がダンスパーティのチケットを売りにたくさん来たのだとか。
当時、男子学生とお知り合いになるのはダンスパーティ経由だったそう。
つまり、みんな”Shall we dance?” ができたのです。
男女が手を取り合って、2人1組で踊る社交ダンスが、親世代で(現在の70代以上)は当たり前のようにみんな踊ることができた。これは意外!!
先生曰く、「ダンスを知らなくてもやってるうちに覚えるのよ、相手も教えてくれるしね」。社交ダンスをみんなが踊れる文化レベルに驚きます。
なんで社交ダンス流行っていたんでしょうね?
ちょいと日本における社交ダンスの盛衰を調べてみたところ、このような記述がありました。
第二次世界大戦後のことです。進駐軍のためのダンスホールが次々に建設され、男女の出会いの場としてダンスパーティーが流行りました。今でいうところのクラブやディスコや街コンといったところでしょうか。
ダンスブームは大学生たちにも広がり、「早慶戦」も行なわれたほどでした。ダンスを踊れば「不良」「遊び人」というレッテルが貼られ、ダンスは良俗を乱す、いかがわしいものだという世間の雰囲気の中、詰襟(つめえり)で踊る大学生たちのダンスは「不純な遊び」を「熱いスポーツ」競技ダンスとしてアピールすることに大いに貢献しました。
学生たちはダンスパーティーを企画開催し、社会人は仕事帰りに街のダンスホールへ繰り出す…そんなよき時代があったそうです。
「社交ダンスの歴史をさくっと振り返る」(加藤周介氏)より
まさに先生が話していた内容そのもの!!
大学生の間で、ダンスホールが異性とお近づきになれる場として普及していった結果、社交ダンスの裾野とイメージが変わったということらしいです。
では、いつからこの社交ダンス文化は廃れてしまったのでしょう❓
1970年には、日本ではディスコが大流行。
今までのダンスとは違う、形式の緩いダンスが若者に好まれる傾向となり、社交ダンスはインターナショナルを愛好する中高齢者に好まれるようになりました。
なるほど、ディスコか〜!
その後その形式緩い傾向のダンスや、ソロやグループで魅せるダンスのほうにどんどん人気が移っているというわけですねえ…。
ただ、周防正行監督の『Shall We Dance?』で再び火がついて、以降日本には一定層の社交ダンス愛好家がいる模様です。
社交ダンス、踊れるとカッコ良さそうですけど、ちょっとねえ、気恥ずかしいですよねえ。
ワタシ的にはフォークダンスくらいがちょうど良いです。
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