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【続いてる写経 1463日め】”占い”は、常に開発され続ける

4月11日は、九星気学における”祐気どり”ができる日。
九星の方位を示す年盤、月盤、日盤がすべて揃う日なのでした。

張り切って休みを取得し、行く場所を検討し、先日九星気学に詳しい人に話をしたところ、

「盤が3つが揃う日でなくとも、”祐気どり”できる日ありますよ」

と言われました。

それは、年盤、月盤が揃って、日盤が定位盤の日
つまり日盤の中宮が五黄土星の日。

直近では4月13日がそれにあたります。

そうなると、とれる方位がいくつか増えるのです。
知らなかった…。

でも、これ合ってるのかしらん?
ちょっと疑問に思いました。

そもそも九星気学というのは、その根源は中国にあり、日本には552年ごろ「九星術」として入ってきたそうです。
そして江戸時代には「家相」などにも方位術として用いられたそうです。
https://ak8mans.com/kyuuseikigaku.html より)

実は今一般的に「九星気学」と言われているのは比較的新しい占いの仕方。
大正時代(1924年)に園田真次郎氏が九星学に独自解釈をまとめ上げ、「気学」を大成したといいます。

以降、園田氏の宗家以外でも、様々な研究や流派が生まれ、占いの仕方も色々とある模様。

要するに、生まれてからまだ100年。まだまだ研究の余地があり、発展途上といえます。

なので、紹介してもらった”祐気どり”の仕方も、新開発のものなのかも?

まあ、独自の占いを開発して人気を博す占い師さんがたくさんいるのも、占いって色々やり方あるからですもんね。

当たるかどうか、良いか悪いか、
試した結果の集大成。それが占い
なのでした。

なので、ピンときたら試してみるのはアリですね。
”祐気どり”できる日が増えた〜、ラッキー!!って思ってやればいいのかも。

ちなみに、九星気学開祖の園田真次郎氏プロフィールは、宗家のHPによると以下の通りでした。

明治9年、群馬県桐生市に生まれる。

19才で地元の僧から九星学を学び、研鑽を重ねて32才で上京。

35才で日本橋小伝馬町に運命鑑定所を開く。

帝都近代化で変貌激しい街並みに強い危機を感じ、

大正10年、西の寒村井荻村(現杉並区)へ吉方移転を敢行。

翌年、勃発した関東大震災を天啓の開運法で回避し九星学を確信。

これを「気学」と命名。

「方位明鑑」「方象講義録」37巻等で理論を体系化し気学の礎を築く。

https://www.kigaku.jp/head/

な、なんですと?!
東京の日本橋小伝馬町から、現在の杉並区に移ってきて、関東大震災を免れたとあります!!

園田先生、ワタシの住んでいるあたりにいらしたのかしらん?
とってもご縁を感じました。

一方で、当時はどんなに”寒村”だったのかと思うと…。
100年の時の流れ、とっても早かったんだな。



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