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【続いてる写経 859日め】〜最近のライバル関係

マンガアプリで『ガラスの仮面』をずっと読んでいました。
「紅天女」の争奪戦に突入した頃には、連載当初から年月が経ち過ぎたのもあり、マンガの設定を時代に合わせるためでしょうか、桜小路くんが携帯電話持つようになってしまいました。
連載の初めは黒電話で話していたから、絵柄は70年代から変わらないから違和感ありますね。

やはり気になるのは”紅天女”を巡る、マヤと亜弓の2人の争いです。
お互いが、お互いに無い能力に気づき羨んでいる一方で、何だかんだ主人公のマヤのほうが「やっぱり天才」となってしまうのが、なんか虚しい感じもしないでもないですね。

亜弓さんはどんなに美貌があっても、どんなに表現力い秀でていても、最終的にはマヤに勝てない…。そんな設定が悲しいのですよねえ。

この二人の関係はヒリヒリするものです。
どちらかが選ばれれば、どちらかが落ちる。二者択一。

ただこの設定も70年代だなあ…昭和っぽいなあ、と思った今日この頃。
絶対ライバル関係ってのが、最近は崩れている気がします。

バレエで世界を目指す少女たちを描いた『絢爛たるグランドセーヌ』というマンガでは、主人公の奏(かなで)は、天然&努力型の才能ある少女。
この奏は曲者で、英才教育を受けてコンクール優勝総なめの少女・さくら、同じバレエスクールで一歩先ゆく少女・翔子などなど、レッスンやコンクールを通じて出会う少女たちをみんな「すごい!!」と認めて、彼女たちのいい部分を貪欲に取り込んでいくのです。

絶対ライバルっぽく登場したさくらですら、いつもの間にか情報を交換し合う良きライバルとなっており、マヤ・亜弓のような対立関係にはないのです。

いわば「一緒に頑張ろうね!」みたいな関係に最後になっていく。
この奏の柔軟性と明るさが、誰もが憎めないキャラクターして描かれるのですが、理想的過ぎないか?とちょっと安易に思う気もしないでもないです。

バレエ漫画なら、「ライバルのトゥシューズにピン」というのはもう時代錯誤なんですね。

キャラクター設定の変化に、時代の変遷を感じました。
血気盛んな上昇志向の時代は、やっぱり過ぎ去っているのだよね。


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