【続いてる写経 956日め】〜何で”端を楽に”してあげるか
自ら墓穴を掘り、仕事を溜め込んだツケで、長時間残業になってしまいました…。
チマチマとした管理業務は、「めんどうくさい」
→それがわかっているから「手をつけたくない」
→自分の裁量でやれるから「後回し」
という、溜め込みスパイラルに見事にはまってしまったのでした。反省。
この状況下では終わらせるために、無心になって片付けることに専念せざるを得ません。
そうなると、自分がなぜこの仕事に従事しているのか、なんとなく見えてきたのでした。
要は、この「めんどうくさい」を引き受けることが「はたらく」ことに直結しているのだと、今更ながら再確認した次第。
本来の語源とは少々ズレた解釈らしいですけど、「はたらく」とは、「端(はた)を楽(らく)にする」とか言われています。
つまり、「端(はた)を楽(らく)にする」ために、「はた」の人の「苦労(楽ではない部分)」を引き受けていることが「はたらく」。
いわゆる世の中にある「めんどうくさい」を誰かの代わりにやることが労働ならば、その「めんどうくさい」を引き受けてもいいよ、と思うものがその人にあった労働なのかもしれません。
実際、ワタシがやってきた仕事は、結構チマチマ事務作業系でした。
これ、誰もができる仕事かと思ってましたが、苦手な人は経費の伝票整理すらままならないらしく、それを知ったときは意外でした。
そんなわけで、この「めんどうくさい」なら引き受けられますわ、わりかし得意ですわ、というのがその人の仕事選択に、なんとなーく結びついているのかもしれないなと、思いながら作業してました。
無心になろうとすると、上位目線で考えたくなるのかもしれません。
一方で、さっさと終わらせるための自己暗示だった可能性もある…。
最近よく”幹事仕事”を引受けているのですが、幹事業務はワタシ的には結構楽しい仕事です。
出欠確認やお店調べたり、予約取ったりするのは別に大変とも思わないですし、今はLINEアプリだったり、ネット予約できるので、昔よりかなり楽ちん。人数変更もオンラインでできたりしますからね。
どっちかって言うと、幹事をやって、自分が行きたいお店とかに周囲を強引に促しているのかもしれない…ww。
次のママ友会、どうしようかな♪、とか自分が率先して楽しいことを画策するのが好きってことなんだろうな。
それで「はたがらく」になれば、言うことなし。
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