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【続いてる写経 1335日め】『やまと絵』展は3時間コース
会期ギリギリになってしまった特別展『やまと絵』@東京国立博物館、行ってきました。
夜間開館を狙って、仕事帰りの金曜日、17時前に入ってみ終わったのは20時の閉館時間。それも最後は少々巻き気味でした。
通常だんだん萎む展示数のはず。
が、第一会場から第二会場まで、詰め込みまくりのすんご〜いボリューム。
どれも、すんご〜い中身濃くて、どれも素晴らしいものばかり。
描かれた絵の細かさや、美しさ、仮名文字の流麗さに見惚れました。
それもそのはず、国宝・重要文化財合わせて展示の7割を占めるということ。
昨年の『国宝展』もすごかったですけど、それに匹敵する豪華さでした。
なぜこんなにボリューミーな展示内容なのか。
そもそものくくりが「やまと絵」だからなのでしょう。
やまと絵の定義を百科事典でひくと、
倭絵,大和絵,和絵とも書く。日本絵画史における基本的用語の一つとして,平安時代以来現在まで広く用いられたが,その概念は歴史的に何段階かに変化した。平安時代には,中国的な主題を扱った唐絵 (からえ) に対するものとして,日本の風景や風俗を描いた絵,特に月次絵 (つきなみえ) ,名所絵などの屏風障子絵に対して用いられた。すなわち当初の語義は主題上の区別であり,様式的な概念は含まれていなかった。しかし鎌倉時代後期から宋元絵画の舶載が盛んになると,これらの中国画を唐絵と呼び,さらにその影響を受けた新様式の日本画,特に水墨画に対しても唐絵の語が用いられた。すると反対概念である「やまと絵」も内容を変化拡大させ,平安時代以来の伝統的な風俗画や風景画を広く意味するようになった。室町時代以降この種の伝統的絵画は宮廷の絵所 (えどころ) ,ことに土佐家 (→土佐派 ) の人々によって世襲され,禅林を中心とする水墨画家や,和漢融合を意図する狩野派と対立するに及んで,やまと絵は流派的意義を含んだ様式概念となった。江戸時代においては住吉派や復古やまと絵の画家などにも継承され,明治以後新しい日本画を生む基盤の一つとなった
要するに、平安初期に「やまと絵」という概念が生まれ、当初は中国的な主題の絵画に対して、日本的なものを扱った絵画に対して使われたことから始まるわけですね。
この展覧会は「やまと絵」概念を用いたものを丸っとジャンル関係なく、屏風絵、絵巻物、経典、料紙の絵柄、蒔絵道具の図柄なども含めて扱っていたため、ボリューミーだったというわけ。
そしてその中でも、四大絵巻、三大装飾経、神護寺三像と有名な作品がならぶという…。すごいっ。
それだけに、展示替えも多く、例えば『鳥獣戯画』は有名なウサギやカエルの出てくる甲や乙巻は前半展示のみ。この日は丁巻って地味なもの。
ただし、今回観に行ったタイミングは自分にとってはピッタリだったようで、まずは空海好きには堪らない『高野山水屏風』。
一度観てみたかったかの有名な『明恵上人像』(高山寺所蔵)の本物!
優しいお人柄だったという明恵上人の表情に癒されました。
そして写経好きの憧れ『平家納経』。
その「薬王菩薩本事品」、馴染みのある法華経普門品第二十五の写経で、図柄もその内容。思わず心の中で読み上げです。
『伊勢物語下絵梵字経』も梵字の光明真言が書かれていて、いとをかし。
その他、いわゆる山水画以外のテーマはあまり観たことがなかったもので、
・『病草紙』:病気を患った人々の姿を描いたもの
・『馬医草子』:馬の病気を治すお医者さんが描かれたもの
特に『病草紙』の”ふたなり”、これが国宝か〜と思うと大爆笑。
あとは土蜘蛛や百鬼夜行絵巻も、日本のマンガカルチャーの源流として興味深いですね。
これのグッズも力入ってましたね。
鳥獣戯画だけでなく、日本の絵巻ものには、まんまグッズにできるようなキャラクター満載なのだなあと再認識。
それにしてもホント、よく集めたなあ…。
随所に教科書的な美だけでない作品を散りばめているところも、学芸員さんの熱意と執念を感じました。
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