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【続いてる写経 1533日め】お寺の歴史はお金で買えない

鎌倉の青蓮寺さんへ写経&お詣り、ついでにひょんなことから御詠歌教室まで参加させてもらいました。

境内にある、一風変わった弘法大師像(筆を持って書を書いている)や籔内佐斗司さん作の五輪塔・五輪塔童子を撮影。

筆を持つ弘法大師像は珍しい
一目でわかる藪内作品


帰りのバス停では、御詠歌教室に参加されてた檀家さんと少しお話することができました。

お寺に対する思い入れがあるご様子で、

「ここはね、宣伝しないからあまり有名ではないけどね、
由緒あるお寺なんですよ」

「川崎大師とか成田山とか、宣伝上手いからね、負けちゃってるけど」

たしかにこの青蓮寺さん歴史は古いのです。

弘仁10年(819) 弘法大師が東国を御巡暦なされた際、鎌倉にとまって一七日間の護摩の秘法を修されたとき、美しい天女があらわれ護摩の助法や斎食の給仕をなさいました。
大師は無事修法を終えることができ、そのことを聞かれた天女は一粒の仏舎利を大師に奉り、その姿は忽ちのうちに見えなくなりました。翌朝眼を覚ますと、側の池には青色の美しい蓮華が咲きほこっていたといわれています。

当寺はその故地に建立された寺であるために、飯盛山青蓮寺の寺名がつけられています。

http://kusaridaishi.jp/rekishi.htm

弘法大師が東国巡礼をした際の故地。由縁は開祖本人です。
さらに”鎖大師”という空海さんが彫ったとされる仏像をお祀りしています。

一方で、成田山は、”平将門の乱”を平常するために、京都の神護寺から不動明王を勧請したのが始まり。
川崎大師は、平間兼乗が海から掬い上げた弘法大師像を祀ったのが始まり。

成田山、川崎大師とも、弘法大師空海ご本人の足跡は絡んでいないのです。

ご由緒を見る限り、この両者とも江戸時代に幕府や他の有力者からのご加護を受けて、寺領を拡大できたことが現在まで勢力が衰えない一つの理由かもしれません。

現代においては、”初詣”の参詣者数がそのお寺の知名度を決定しているように思います。ゆえに万単位の人が集まっても捌ける広さがあることが必要です。
こぢんまりとしたお寺では、何万人もの人を相手にはできないので、対抗するのは無理な話。

「宣伝が下手なんだよなあ〜」

と檀家さんはおっしゃってました。

けれども、宣伝してあふれるほどの人が集まる場所になるのはいかがなものかと。
近所に和めるスポットとして、由緒あるお寺があるほうがよっぽど価値ある!

中心部からは離れた場所にあるとはいえ、鎌倉エリアのお寺。
ゆえにお金かければ知名度は上がるかもしれませんけど、
ご由緒ある歴史は、買えませんからね。

”うちの寺はすごい”自慢ができる檀家さん、いいなあ。
羨ましく思うのでした。

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