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【続いてる写経 1300日め】いざ鎌倉、『金剛三昧院展』

秋の紅葉で彩られた高野山を堪能したく、11月に再訪計画中。
そんなおり、鎌倉歴史文化交流館で『高野山金剛三昧院ー鎌倉殿を弔った寺院の軌跡ー』を開催中との情報をキャッチ、事前学習のために鎌倉へ。

北条政子が鎌倉殿・源頼朝や実朝のために創建した金剛三昧院
高野山でも南端にあったことから、山内の大火による類焼を免れたことで、鎌倉時代から残る多宝塔は国宝となっているそうです。

その多宝塔は政子発願と言われ、今年2023年は建立800年!
それを記念して開催されたのが今回の展覧会。

金剛三昧院の創建を助言し、維持拡大に大きな役割を果たしたのが有力御家人・安達景盛。この安達氏は文化交流館の建つ無量寺谷に屋敷や菩提寺を構えていたと言われる一族だそうです。

安達氏ゆかりの地で、多宝塔建立800年を記念し、文化財を一同に集めた展覧会が開かれるのは意味深いですね。

この文化交流館は素敵な建物でした。
なんでも元は個人用の住宅で、著名な建築家ノーマン・フォスター率いる会社の設計によるもの。2004年に竣工した新しい建物。その所有者が土地と建物、整備費用を鎌倉市へ寄贈し、2017年5月に「鎌倉歴史文化交流館」としてオープンしたものだそう。
(建てた人、財力も奉仕精神もすごい人だな〜)

金剛三昧院展はその一画で開催。

今回初公開となったのは、平安時代の地蔵菩薩立像、室町時代の弁財天坐像。どちらもとても保存状態が良い仏像でした。

展覧会チラシより

弁財天坐像は今回の展示事前調査で、天文5年に南都・宿院仏師の手によるることを示す銘記が確認されたそう。

宿院仏師とは、戦国時代の南都における仏像の造像に多数関わった仏師集団。奈良の長谷寺の十一面観音像再興にも関与したとか。
造仏工房としての活動経緯を示す新資料らしいです。

結構マニアックな話ですな…。

他に興味深かったのは、”寺領”の話
高野山内ではお米とか作物取れません。よって食料は全て他の場所からもってきたもの。

金剛三昧院は、高野山の中では最も寺領が大きく、その中でも筑前国粥田荘が最大だったそう。
北条政子が粥田荘を寄進を「菩提を弔い、無縁の人も支援したい」と積極的に進めたらしいですが、高野山内の勢力を維持するのにも、「食料や資材を調達できるか」が重要だったろうと推察されます。

筑前からは堺港を通って高野山まで1ヶ月かかって運ばれたようです。
その運搬費用だけでも大変そう。昔は車もないし、山深いし。

寺院運営、タダではできない。
生々しいもの感じました。

たとえ高野山のような場所にあろうとも、俗世と縁を絶っているようで、絶てるわけがない。

寺院運営というのは昔も今も、実に聖俗のバランスをとるのが難しそう

今度高野山へ行ったら、裏側の俗な部分もまた考えてしまうのだろうなあ。

余談:文化交流館に行く前に、反対側の鶴岡八幡宮様へお参りしてきました。

左下階段、あっという間に登り切れた❗️

境内広くて、本殿までの階段大変というイメージが残ってましたが、

階段ひょいひょい登れてしまいました。
あれ?これだけ?って短く感じました。

先日登った大山阿夫利神社様の階段を経験したあとでは、鶴岡八幡宮様はもはや軽い部類に。

たまには”負荷をかける”って大事ですね。


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