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自己顕示欲と闘う
世の中にはSNSが溢れている。Twitter、Instagram、Facebook、TikTok…
今の時代、SNSを何一つやっていない人は中々いないだろう。私はSNSを一度も見ないという日はおそらくない。それだけSNSが私の生活の中に侵食してきている。
しかし私はSNSを投稿することはない。ただ見ているだけだ。投稿することが少し恥ずかしいと思っている。
SNSに投稿するということは自己顕示欲の現れである。不特定多数の人に何かを共有したい、見せびらかしたい、そう思うから投稿するのである。もちろん何か大切な意見を世の中に広めたい、重要な情報を多くの人に共有しなければならない、といった場合にSNSが活用されることもあるが、それはほんの一部である。
私はSNSを見ていて時折"恥ずかしいなあ"と思うことがある。
例えば
SNSに自分の好きな曲を投稿している人。インスタのストーリーに曲とそのジャケット写真だけを流したり、LINEのプロフィール曲を設定したりする人はよくいる。私はこれを少し恥ずかしいと思う。著名人なら分かるが、一般人が自分の好きな曲を周りの人に知らしめる意味があるだろうか。そしておそらくこの曲は"ただ好きな曲"ではなく、"あまり知られていないけど実は私こんなオシャレな曲聴いてるよ"と思わせるような厳選された曲なのである。これはつまり曲をみんなに共有したいのではなく、"この曲を聴いているおしゃれな私"をみんなに見て欲しいのである。
こういった投稿を見るとそんな思いが見えてしまって、私は少し赤面する。
他にも恥ずかしいと思うことがある。
友達の誕生日を投稿する人だ。もちろん友達と誕生日パーティーをしてその写真を載せるとか、サプライズプレゼントをあげて喜ぶ友達の写真を投稿するとかそういったのは大いに理解できる。しかしたまに誕生日を一緒に過ごしているわけでもないのに、その友達との今までの写真などを載せて "〜いつもありがとう!誕生日おめでとう🎉" などと投稿する人がいる。これはその友達に直接LINEか電話か何かで伝えれば良いのではないだろうか?著名人でもないのに誕生日の祝福の思いを本人以外に共有する必要があるだろうか?これはつまり誕生日の祝福を共有したいわけではなく、"この友達の誕生日を投稿する私って優しい"とか"この友達と私はこんなに仲良いんだよ"といったことを共有したいのである。
こうした投稿を見ると私は寒気がする。
"でもそう言いながらもお前はSNS見ているじゃないか。そんなに恥ずかしく思うなら見なければ良いだろ"
嫌味ったらしい声が上から聞こえてきた。
見るのはいいんだよ。うるさいぞ、自己顕示欲。そう、これは私の自己顕示欲の声である。
”だいたいお前そんな風に人のSNSにケチつけて、絶対友達いないだろ”
自己顕示欲の声が聞こえる。
くそが。なんなんだこいつは。
私は変な声を無視してまたSNSを見る。
ある日、私は休日に近所の大きな公園を散歩していた。ただぼーっと公園の木々を眺めて歩いていたら、ガサガサっと何かが動いた気がした。そちらの方に顔を向けると草むらからめちゃくちゃでかい猫が出てきた。逃げられないようにそーっと近づいてみた。よーく目を凝らしてみるとこいつは猫じゃない。
タヌキだ。
こんな街中の公園にタヌキが。私はかなり気分が高揚した。とりあえず写真を撮ってかばんに入っていたクッキーを投げてみた。するとタヌキは近づいてクッキーを食べた。私は嬉しくなりその姿を動画に収めた。クッキーを食べ終えるとタヌキは茂みの中へと消えていった。
タヌキが去った後も私は胸が高鳴っていた。散歩していたらタヌキに遭遇するなんてことがあるだろうか。
家に帰って私はインスタを開いた。
投稿したい。あのタヌキと出会った感動をみんなに共有したい。しかし私は今まで何も投稿したことがない。初めての投稿がタヌキでいいのだろうか。というか”こいつ、急に投稿してどうした。なんかあったか?”などと思われないだろうか。あと投稿するにしてもなんと文章をつければいいだろう。
「こんな公園にタヌキが!!!」
いや、ちょっとテンション高すぎるか…
「あれ…タヌキ…?」
これじゃああの感動は伝わらないよなあ
あえて無言で動画だけ載せるとか?
なんかセンスあるぶってるやつみたいで恥ずかしいな
ケータイを片手に私はしばらく考え込んだ。
ただタヌキを載せるのにこんなにも苦労するとは。頻繁に投稿してる人たちは相当鍛え上げられたハートの持ち主だと改めて感じた。
"お前SNSについてごちゃごちゃ言ってたくせに何ずっと考え込んでるんだよ。投稿したいならさっさとしろよ、気持ち悪いぞ。"
くそ、またあいつの声が。うるさいやつだほんとに。でも確かにあいつの言っていることも一理ある。私はあんなにSNSに投稿することを嫌っていたはずだ。あんな自己顕示欲の塊みたいな行為、恥ずかしいったらありゃしない。そう思っていたはずだ。なぜ私はタヌキを投稿しようとしているんだろうか。やはり私にも自己顕示欲があるんだ。散々SNSを馬鹿にしていた私も、みんなに見せびらかしたいという恥ずかしい思いがあるのだ。その恥ずかしい思いを、自己顕示欲を、あのタヌキが掻き立てたのだ。
"なにを売れない小説家みたいにぶつぶつ考えてるんだよ。だからお前は友達ができないんだ。さらっと投稿すりゃ良いんだよ。SNSごときで深く考え込むな。"
いちいち心に刺さるようなことを言うなあこいつは。あーどうしよ。どうしよどうしよ。
私はインスタのストーリーに投稿しかけては削除し、それを何度も繰り返した。
気付いたら朝が来ていた。
朝日を見て、一気に眠気がきた。
ぼんやりとした頭でインスタを開き続けている自分を改めて客観的に見て、なんだか本当にバカバカしく思えてきた。
もうどうでも良いやと思い、私は誰もインスタを見ていないであろう早朝に、何もコメントを載せずにタヌキのストーリーを載せた。
当然誰からもコメントは来なかった。
もうやめようSNSなんて。あんなの自己顕示欲にまみれた恥ずかしい人達の遊ぶ場所だ。私は関わらない、関わらないぞ。
でも結局私は分かっているんだ。
こんなことをnoteに書いてる私が1番自己顕示欲の塊で、ものすごくイタくて、ひどく恥ずかしいやつだ。
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