"都市生活の終焉"-建築家は明るい未来は描けるか-

約1年ぶりの更新。

4/18の今でもなお、暗いニュースが飛び交っている。著名人の死や連日の感染者の急増のニュースが毎日のように報道されている。20時にはほぼ全ての飲食店が閉まってナイトエコノミーなんてのはほとんどない状態だ。

かくいう私も今年も一級建築士試験を受験する身として、もはやあるかどうか怪しい試験に向けての勉強場所も自宅に限定されてしまい困っている。隙間時間の勉強の活用に行っていたマクドナルドもついに店舗での飲食は禁止だ

あえて大げさに言ってしまえば新型コロナウイルス(COVID-19)」は"都市生活の終焉"を僕たちに告げたのかと思う。言い換えると自分たちのこれまでの生活を内省し、新しい生活に定位するきっかけを否応がなしに受け取らざるを得ない状況だ。

ここからどう私たち建築家は明るい未来が描けるのか、自分たちは今何をすべきなのだろうか。再考すべききっかけでもあると思う。

思い返してみれば、2011年の東日本大震災の年が私が建築と出会った年であった。その時は"2011年以後あるべき建築の姿とは"とひたすらに建築家が議論していたことがあり、ただ一方でそのスタンスは以前以後で大きく変わったとは言い難いということも印象に残っている。そのことは今思えば、建築家自身が「都市機能に依存する都市生活者そのものであったから」ということに尽きると思う。つまり生活自体がラディカルに変わったということはその時点で起きなかった。都市と地方そのインフラの非対称に対して建築家は建築活動を被災地で行う一方、生活インフラは都市に依存し続け、その証拠に学生であった当時の僕も友人も夜遅くまで、設計事務所でアルバイトをし、その後コンビニにいきエナジードリンクを飲んでから夜通し製図室にこもり制作することの連続だったと思う。設計事務所に勤め始めた私は今でもそのことは変わらず終電はざら、ひどい時には3日間家に帰らなかったこともあった。

ただ今この時ばかりは毎日のよう満員電車に揺られ、場所の選択がないまま働く事にあまりにもリアリティがない。というのは僕だけじゃないだろう。

改めて自分自身が都市に依存し、当たり前だと思っていたことを再度見直さなくては行けないと。それは建築家の前に一人の生活者なのだということを自覚して行動すべきだろう。少し物言いが五月蝿くなってしまったが

今改めて「何が」建築家としての自分にできるかを考えて実践したい






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