コロナ下の積極財政を支える金融政策のリスクについてのメモ
最近、日経を読んでいる。 日本の大企業的な価値観が伺えて、なかなか面白い。
つみたてNISAで積み立てているインデックスファンドの基準価額が、コロナショックなど嘘だったかのように回復しているので、はてこれはどうしたかと思っていたら、どうやら日銀を含む各国の中央銀行が株を買い支えているらしい。2013年から始まったアベノミクスもリフレ政策、いわゆる「異次元の金融緩和」をその軸の一つとするものだったけど、それに引き続いて大量のマネーがじゃぶじゃぶ市場に供給されているというわけだ。
そして政府の財政支出の拡大も要求されている。周知のとおり、ただでさえ日本政府は収入と支出のバランスを失しているから、もはや追加で大盤振る舞いする余裕はなさそうだけど、異次元の金融緩和のために、低金利は維持されるから、政府は安心して国債を発行することができる。そして大規模な買いオペの一環として、国債の多くは結局日銀が保有することになる。日銀の国債保有率はここ7年間で20%以上上昇している。
こんなことでいいのだろうか、中央銀行がひたすらマネーを供給し続けるこの状態に何か問題はないのだろうか、と疑問に思っていたら、日経で解説記事をみつけた。
低成長、低インフレが継続する中で、低金利環境の長期化はある意味で自然なことだ。だが金融政策運営では、非伝統的政策が恒常的な政策手段となり、中銀のバランスシートの膨張が続く。
非伝統的金融政策は、財政政策との境界が極めて曖昧だ。特に非伝統的な金融資産の大量購入により様々なリスクへの対価に働きかけることで、価格・数量の両面から資源配分への強力な介入となる。コロナ危機後も、こうした金融政策が先進国で共通した運営となっていくだろう。
他方、財政政策面でも主要先進国はコロナ危機への対応として未曽有の拡張策を繰り出している。日本と同様、大規模な政府債務の下での政策運営を余儀なくされるだろう。そして中銀が低金利環境を維持することで、実態として財政の持続可能性を支える構図が定着していく可能性が高い。
この記事の筆者は、特に中央銀行による低金利政策が、事実上財政政策と一体化していることに特に注目している。この構図は、アベノミクス下の日本だけでなく、コロナショック後、巨額の財政支出を行っている先進諸国にも共通しており、各国は「日本化」していると指摘する。
筆者によれば、この状況に関する論点は次の2つだ。
ポストコロナ時代の新しい金融政策運営枠組みを考えるうえでは、金融政策の独立性に対する重大な懸念にどう対処するかが重要な論点となる。第1に中銀は金融・経済の安定を確保するため、財政の持続可能性に一層注意を払う必要がある。第2にこうした中銀による財政運営への配慮は、中銀へのさらなる依存と制御不可能な財政膨張を招くリスクを増大させる。
第1の論点を巡り、長期金利は低位安定しており、金融市場は、少なくとも10年程度は心地よい低金利が持続する可能性が高いと予想している。もっとも、金融市場が将来にわたる予想経路を巡る未知の不確実性に直面していることも事実だ。中銀は大規模な国債購入を通じて長期金利を低位安定させることで、財政の持続可能性に対する懸念の台頭を未然に阻止することが求められる。
それは物価安定と金融安定という政策目標の中で、後者をより重視せざるを得ないことを意味する。ただ、国債買い入れ自体は、国債を準備預金に置き換えるにすぎず、統合政府の債務の期間構成は短期化する。
とくに1点目について言及したい。財政の持続可能性に対して懸念が台頭すれば、デフォルトへの不安から金融市場が不安定化し、実経済にも影響を及ぼす…だから、物価安定よりも優先して、金融安定を重視し、低金利環境を維持しなければならない、ということだろうか。
経済学の門外漢である自分にとっては分かったような分からないようなところがあったから、別の記事を見つけてきた。
当座預金がこれだけ肥大化するとさまざまなリスクが膨らみます。
一つは、日銀が当座預金の金利を上げられないことです。
金融政策を運営する上で、日銀が当座預金の金利を引き上げられないということは、中央銀行がインフレを止める手段を取れないということです。当座預金の金利が低いままだと、仮に不動産バブルなどが生じた場合、民間銀行が金利の低い当座預金にお金を預けておく理由がなくなるため、民間銀行は当座預金からお金を引き出し、貸出に回します。その際、日銀が金利を上げられないと、当座預金からの資金流出を止めることができないので、その結果、当座預金に積み重なったお金は、逆回転するように市中にどんどん流れ込み、火事に風を吹き込むようにインフレをあおります。
日経の記事と若干理路は異なるようにも思うが、要するに、中央銀行が異次元の金融緩和により大量の国債をため込み、政府の財政支出を支えることは、物価の変動に対する対処能力を犠牲にした上で行われている、ということなのだろう。
このリスクはどれだけ意識されているだろうか。
早くも第二波の到来が意識される状況にあって、政府は経済へのダメージと財政支出の拡大への懸念から、公衆衛生的な対策の再強化には及び腰である。積極財政による国民への給付拡大を唱える論者もいるし、自分自身もコロナの影響で困窮した人たちを支えるためにある程度それは必要な措置であると思うけれど、それは常に異次元の金融政策が抱えるリスクとのバランスのもとに検討されなければならないものなのだろう。なかなか苦しいところではあるけれど。
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