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正規1年目・2月末の思い
今年度が終わるまで約1か月。いろいろな思いが溜まっているので書いていく。
自分の未熟さ・できなさについて述べる。また管理職や先輩教員から指導を受けた。学級経営、生徒指導、授業、報告・相談のことなどいろいろである。そもそも自分はできないと思っているが、指導を受けるとさらに自分はできない人間なのだなという認識になる。そして、指導をするという手間をかけてしまって申し訳ない気持ちになる。しかも、これまで経験があるのにもかかわらず、様々なことで失敗し、指導させてしまう。
これだけいろいろ言われると、自分への自信はもうなくなっている。何をしてもダメなんだ、一生懸命やったから良いというわけではないんだ、自分はいない方がましなんじゃないか、という思いが強くなってきている。また、逆に、私のできないところや未熟なところを取り上げて細かく指導するくせに、私が時間をかけたり工夫したりしてうまくできたことについては、あまり取り上げないで冷めているなという印象を受ける。だから、これまでの自分の仕事において、良いことが分からず、できないことばかりに目が向いてきている。
ベテランの教員と話していて、生徒指導において、いろいろなパターンで子どもに向かっていかなくてはならないということを聞いた。あの子に正解だったことが他の子にとって不正解だったり、前は効果的だったのに今は効果的でないということもある。根気強く、子どもにいろいろな方策で向き合っていく必要があるということを学んだ。
学びとしてはいいのだが、一方で、長時間労働・終わりのない仕事量・保護者や世間からの視線・上司からの指摘・指導による身体的・精神的なダメージは確実に蓄積されている。だから、モヤモヤする思いが残る。
自分は、講師経験があるとしても、新採用1年目、まだまだ教員として駆け出しの人間である。教員として立派にできることはほとんどないに等しく、できないことばかりであるのは当然である。だから、どんな指導や指摘をされようとも、自分の力量不足が悪いと思う。しかし、イライラはする。仕事が適切に管理されていないことへのイライラが募り、普段の指導への悪い影響があるし、先輩からの指導もすべてを冷静に受け止め、理解するというところまですぐにはいかないと感じている。イライラと指導を結びつけてはいけない。でも、あまりにもストレスが溜まっていく。
最近、どれだけ子どもに向き合えているだろうか。一緒に遊んでいるだろうか。子どもの楽しみや悩み、思いをどれだけ聴けているだろうか。学習指導、生徒指導、規律、行事など、どれもすごく大事だと思う。だから、エネルギーをかけてイライラしながらも、やらなきゃいけないと思う。でも、その前に、子どもの生の思いにどれだけ触れているだろうか。そういうところの触れ合いがあったからこそ、去年や今年ここまでやれたのではないだろうか。
私のような若手、とりわけ力量のない初任教員の担任としての存在意義とは何なのだろうか。子どもにとってどんな学びがあるのだろうか。子どもにとって大事な1年が無駄になるのではないだろうか。
ツイッターで教員アカウントの投稿が反響を呼んでいたり、炎上していたりするのを見かけた。どれも学びになったと同時に、世間からの教員への目や子どもに対する考え方を感じた。教員目線と世間の見方とは、全然異なるということを感じた。自分の指導や働き方に立ち返って、私は、どうなんだろうか。子どもや保護者、社会に対して、失礼な働き方をしていないだろうか。
ここまで書いてきて、今もっている子どもをどうしたいかということが全然思い浮かばない。自分がいてもいなくても子どもは自然と成長していくと感じている。だからこそ、傍にいる私の役割とはなんなのだろうか。
たった今年1年の経験だけで、低学年をもちたくなくなってしまった。持ちたくないというか、持つのがこわくなってしまった。考えれば、どの学年を持つにしてもこわいのだが・・・。
何にしても自分の力量不足がすべての原因である。だから、私は、勉強をし続けるしかないと思っている。一方で、自分のこの状況(時間外労働、仕事の量、ストレス、働き方)で仕事を続けるのは、子どもや保護者に失礼だと思う。だから、早いうちに仕事を辞めた方がいいのではないかという思いもある。子どもに向き合えない、力をつけることのできない教員、今の私のような教員は、今後どうすればよいのだろうか。いつまでも、自分の力量が足りないと言っていていいのだろうか。
残り1か月の今年度、6感会、通知表、要録、授業、成績、卒業式、学習参観・懇談会など、いろいろある。来年度に向けてなのか、自分自身の成長なためなのか、子どもの成長のためなのか、失敗を生かして働きたい。でも、身体的・精神的にギリギリなところもある。そんなにがんばらないといけないのだろうか。休日も休日じゃない生活をどれだけ続けるのだろうか。
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