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他人に興味が持てない本当の理由

酒イさんなのだ。
Twitterでたまにお悩み相談を受けたりするのだ。

「他人に興味を持てない」という問題。
とある相談を受けていたときに、相談者さんが話していて興味を持ったのがきっかけなのだ。

この記事は、こんな人にも読んでほしいのだ。
「世の中の出来事を薄いベール越しに見ているような感覚がある」
「あまり何がしたいとか感じない。楽しいとか嬉しいとかも感じない」
「自分の気持ちがよく分からない」

他人に興味が持てないのは自分の深い感情に向き合えていないから

「他人に興味が持てない」言い換えると、
「他人にも興味が持てない」ということなのだ。

根本的な原因は自分自身の深い感情への認知にあるのだ。
自分自身の深い感情から目を背けて、感情を抑え続けてきた結果なのだ。
感情が抑圧されているのだ。

順を追って説明していくのだ。

他人に関心がない人は自分にも関心がない

描き子さんのnoteが興味深く、とても丁寧に書かれているので記事から引用させていただくのだ。

描き子さんへ相談を寄せたtsunaさん(仮名)はこのように語っているのだ。

他人にも心があり、傷ついたり喜んだりするということが頭では理解できても心の上でピンとこないという感じなのです。

tsunaさんの自己分析はとても明快で、淡々と自分の状態を語っているのだ。

描き子さんが語られているとおり、
「他人に興味が持てない」心理は「自分に興味が持てない」心理なのだ。

「興味が持てない」という部分をもう少し掘り下げるのだ。

tsunaさんはゲームの世界にたとえて、他人を「村人A」「村人B」のように捉えている。
異常なことではないし、酒イさんも理解できる感覚なのだ。

「他人にも心があり、傷ついたり喜んだりする実感できない。」
これは自分自身の心にも言えることなのだ。
人は誰しも、自分の中にない感情を他人が持っていることを実感できないのだ。

自分の中にエモーショナルな心がないから、
他人にも同じようにエモーショナルな心があることを深く理解することができないのだ。

つまり、
「他人の感情に関心が持てない」心理は「自分の感情に関心が持てない」心理なのだ。

自分の中にある、ありのままの感情を感じとることができていないのだ。
だから他人にもそのような感情があることが分からないのだ。

なぜそうなっているのか。
自分自身の心にフタがされているからなのだ。

心にフタをするということはどういうことか

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感情という言葉は意味や定義の幅が広いのだ。

感情には2種類あるのだ。

すべての感情が「心」から生じているわけではないのだ。

わかりやすくするために「頭」から生み出される感情を「浅い感情」
人間の深い部分「心」から由来する感情を「深い感情」とするのだ。

2つはいっしょにされがちだけど、じつはまったく違う感情なのだ。

「頭」はコンピューターみたいに合理的で、ものごとをコントロールしようとしたり、
損得計算や比較、シミュレーションを行ったりするのだ。
よって、この機能がもとになって生じるような感情は、すべて「頭」から来るものなのだ。

「深い感情」は、極端に言えば、「喜・怒・哀・楽」の4つにまとめられるのだ。

ネガティブな感情と考えられている「怒」「哀」と、
ポジティブな感情と考えられる「喜」「楽」があるのだ。

人間の心というものは不思議なもので、「喜・怒・哀・楽」はバラバラな感情だけどそれぞれが繋がっているのだ。
喜怒哀楽どうしが鎖でつながり合っているイメージなのだ。

ネガティブな感情を悪しきものとして抑えつけて表に出ないようにしたことで、喜怒哀楽すべての感情が抑え込まれてしまったのだ。

なぜ感情を抑えつけてしまうのか

「親に喜んでほしい。認めてもらいたいから良い子を演じ続けていた」
「両親は共働きだったので、両親の負担にならないように甘えたい気持ちをぐっと抑えていた」
「自分さえ我慢すれば…」と、波風を立てないようにする
「やりたいことを我慢したり、周囲に気を配り続けてきた」

ほんとうはわがままを言いたかったのだ。
怒ったり哀しんだり、自分の本音を吐き出したかったのだ。

でも、ネガティブな感情を他人にぶつけることで拒絶されることが怖くて、
ぐっとその感情を抑え込んでしまってきたのだ。

そうして、
ネガティブな感情を「邪魔なもの」「意味のないもの」「押さえ込むもの」として締め出したり、ネガティブな感情を抱かないように葛藤を避けたりすることがあたり前になっていくのだ。

その積み重ねによって「心のフタ」がかっちりと閉めてしまったのだ。

自分自身に対して酷いことをし続ける

多くの人は、他人が誰かにやっていたら「ひどい」「信じられない」「許せない」
と思えることを自分の心に対して延々とやり続けていても、それにさえ気付いていないのだ。

自分の心が苦しいとか辛いと感じていても、それを許さず

「大人なんだから、これくらいは…」
「もっと上手く出来ている人もたくさんいるから、私が弱音を吐くなんて…」
「こんなことで傷ついている場合ではないし…」
「精神力が足りないから、こうなるのかも…」

頭はいつもスパルタ国の教育のように、過酷なほどに心にムチを打つのだ。
自分の心が走りたがらなくても無視をして、強制的に走り続けさせてしまうのだ。
心が走れなくなってくるとイライラした頭(浅い感情)は、
走れない心を罵倒してどこまでも引きずっていくのだ…ずりずりと。

感情そのものには善悪はない

否定したり責めたりもせず、ありのままの自分の感情をそのまま受け止めてあげることが大事なのだ。

ネガティブな感情を「邪魔なもの」「意味のないもの」「抑え込むもの」として悪者あつかいせず、自分の感情の一部として受け止めてあげるのだ。

どうやって自分のありのままの感情を受け止められるのか。
方法や考え方についてはまた別の機会に書くことにするのだ。

まとめ

・他人に興味が持てない人は自分に興味が持てていない
・自分の感情に関心が持てないから他人の感情を感じ取ることができない
・感情を抑圧しつづけると「心にフタ」がされる
・「喜怒哀楽」に善し悪しはない
・ネガティブな感情も自分の感情として受け止める

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