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囲碁の日本への伝来① 吉備真備伝来説


はじめに

 古代中国で成立した囲碁がいつ日本に伝来したかは、日本囲碁史のみならず中国囲碁史でも重要な問題である。また、伝来の時期だけでなく、そのルートが中国から直接伝来したのか朝鮮半島を経由したのかも重要な問題である。
 中国では六一九年に隋が滅亡し唐が建国される。日本は聖徳太子によって隋へ小野妹子ら遣隋使が派遣されたが、唐に替わってからも引き続き使節を派遣している。遣唐使は六三〇年の第一回から中止される八九四年まで続き、二十回前後出航している。当時の航海は命がけで、唐に辿り着けた使節はさらに少なかったであろう。
 目的は、古代の日本国家を形成する上で、律令体制の整備が進んでいる唐の制度や文物を導入し、国制を模倣することにあった。また、文化面でも同行した留学生や学問僧による先進文化の習得や書籍等の移入があった。
 それが奈良時代になると政治外交上の使命を帯びて派遣されることが多くなった。特に新羅等との関係を考えつつ、東アジアの国際社会において日本の地位確保を唐に認めさせることが求められた。奈良時代も末頃になると、国際社会における日本の地位が確立したこともあり政治外交上の使命が薄れ、今度は僧侶等の留学や交流、貿易的利益が目的となっていった。
 囲碁の伝来についてであるが、日本では吉備真備伝来説が流布されてきたが、『隋書』倭国伝にはすでに囲碁の記述があり史実とは言えないであろう。江戸期には学者たちが諸説論じているが、どれも論拠に欠けている。明治以降も伝来経路を論じたものは少ない。
 この問題は囲碁伝来に関する確実な文献が無いため、中国や朝鮮半島への使節派遣等の記録や日本古代での囲碁記事などの確実な史実を押さえつつ、他の要素も勘案して論理を構築する必要がある。

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