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囲碁史記 第39回 低迷から中興の時代②


京都の小嶋家

 江戸時代、京都に小嶋家という碁家があった。三世本因坊道悦の門下として記録が残る小嶋道純が祖と言われ、道純の元文二年(一七三七)、七世本因坊秀伯との棋譜も『道純録・萬喜録』(成田山仏教図書館蔵)に六局遺されている。「道純録」は元文二年の四月から九月までの半年間、江戸の家元を中心に打たれたもので、道純の孫弟子太田久寛が編纂したとされている。棋譜は三十一局ある。

黒 小嶋道純 白 本因坊秀伯 一四四手黒中押勝ち
(元文二年五月九日)

 三世道悦の弟子が七世秀伯と対局しているのも不思議な感じであるが、道悦は享保十二年(一七二七)九十一歳まで健在であった。この年には五世本因坊道知も亡くなっている。隠居したのは延宝五年(一六七七)であり、貞享三年(一六八六)には隠居料を返上して五十一歳で京都に閑居している。京都は本因坊家発祥の地でもあり、その意味でも京都でゆっくりと余生を送るつもりだったのかもしれない。それでも江戸の囲碁界には目を光らせていたようだ。
 そんな道悦の後半生、京都で過ごした四十年の間に多くの人の碁を教えていたのであろう。その一人が小嶋道純だったのかもしれない。囲碁史研究家の猪股清吉氏は道純の「道」の字に注目し、道悦との繋がりを見出そうとされた。道純の年齢については不明である。
 

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