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両親を手放し、反抗期が終わり、感情を解放したあとのこと

2年ほど前には、家族がいないと思っていた私。今はとても落ち着いています。


母との関係

母の愛を受け取って帰省したわけだが、関係は今までで一番良いと思う。

帰省するということで、布団を干して、カバーをかけておいてくれたところや、私が去ったあとに服をクリーニングに出してくれたりすることが、母の愛情表現であり、楽しみにしていたんだなと思った。

渡航前は、1カ月(のうち半分くらいは旅行でいなかった)一緒に住むだけでも、大丈夫かな~と思っていたけれど、帰省中は母が帰ってくる前にカーテンを閉めておく、頼まれたことがあればやっておく、など、自然にできた。母の機嫌が悪くなるところはわかっていて、怒られるからではなく、そのほうが気持ちがいいからである。料理を作ることも、ぶるぶるに行く前は気力がなくてできなかったけれど、今回は負担なくできた。洗い終わったお皿をしまうこととかは、母が自然とやってくれたし、洗濯も前は分けていたのに、一緒にやってくれるようになった。

母が見るテレビ番組が一気におばあちゃん向けになっちゃったな~と思ったり、頭を洗いなさいと言われたりしたけれど、私が腹を立てないので、母も腹を立てずだった。ぶるぶる大変だった、家もうるさいし乾燥機がない…と言ったところ、それなら帰ってくればいいのに、と母の本音も聞けた(話の途中だったので無視する形になった)。私が戻る頃には、すぐに慣れるだろうけど、と言いながらも、ごはんを作ってくれる人がいる生活はいいな~と言っていた。私も作り続けたかった。

母の家最高

ある本を読んでいて、"住む場所は機嫌のいい場所がいい"とかなんとか書いてあって、私はどのエリアがいいかなあ…と考えた。みなとみらいなんかちょうどいいのかもしれないと思った。その後、宿題のため六本木・麻布台ヒルズに行って、こういうところに住めたら素敵だよな~とも思った。地元に行ったとき、ここに戻りたいと思うかな?とも考えた。

だけど、今は母の家があって、そこが快適なので、そこがいいなあ、出て生きたくないなあ、と思った。

今のmindsetでいたら、親離れできているから、親との同居も問題ないんだろうなあ。この段階まで来ていれば、家族に定期的に会いたい!と思っていても、何の問題もない。
同居したらPartnerができなくなるのかどうなのかはわからないし、とっとと出てってくれないかしら、と母は思うかもしれないけれど。

父との関係

こちらも、一番良いと思う。私に会えてうれしいということを、表現してくれるようになった。

帰省中に会いに行った。行けば、帰省中出費分のお小遣いはもらえるんだろうし、おいしいお菓子や何やらも持たされるんだろうと、楽しみにというか、正しく期待して受け取ろうと思っていた(というのも妙な表現だけども)。
何かほしいものを聞かれたら、Airpodsが気になるな、と言おうと思っていた。すると、案の定ドライヤーを買うよ、と来たので、それならAirpodsがいいわ、と言ったところ、一番高いのを買って、と言われた。ちょうどお年玉セールで、8000円分がgift cardになったので、それで音楽をdownloadしたし、半年分のApple musicもついてきた。これでFabulous1年分を払うことにした。

Airpodsは、戻りの飛行機でも、とても役に立った。

なんでドライヤーなのか?といえば、新しい家に持っておきたいのかもな、ともあとで思った。つまりは私が来ることが嬉しいのだということだな。
マンションに行ってみると、案の定新品の(普通性能の)ドライヤーがあったので、使わせてもらった。

私はベルギーみやげに、ワインを2本と、クッキー缶と、スーパーのフリーペーパー(レシピとクーポンがあるやつ)を持って帰った。このワインが嬉しかったらしく、親父は旅行計画を立て始めた。翌日、iPhone買ってあげちゃおうかな、と言ってきたので、甘えることにした。バイトが決まったら自分で買おうと思っていたiPhoneを、私はこうして手に入れた。

友達の子供たちにおみやげを買うのは楽しい。買ってあげるよ、と言いたくなるし、そんな財力がある自分にもうれしい。というわけで、親だから子供にできることをしてあげたい、買ってあげたい、出してあげたい気持ちも、わかるようになったのであった。

おばあちゃん(母)

帰省中に会いに行ったところ、(私のことを)うまく育てたわね、と母に言っていた。飛行機代を出してもらっても帰ってくる私、おばあちゃんの家にも顔を出す私は、親孝行なのだそうだ。
考えたことはなかったけれど、私は優しいし、人思いだし、近くに住んでいる弟やいとこたちよりも、たしかに意識的にきちんと顔は出していた。おばあちゃんの誕生日には、花も贈っていた。

おばあちゃん(父)

雪の日に訪ねたところ、入って!と言われ、私が中に入り、89歳は元気に雪かきをしていた。笑
TVerをダウンロードしてあげ(おばあちゃん詳しい)、大量のお菓子(元は親父が持ってきたもの)とお小遣いをもらった。親父と合わせて、飛行機代+帰省中の出費はカバーできてしまう額だった。もちろん貯金した。

いとこたち

上のいとことは、帰省時に会った。いとこが組んでいるバンドや音楽の話で意気投合し、musicalの演技のアドバイスをもらい(元演劇部)、とてもつながった感覚があった。趣味が合ういとこっていいものだ。

下のいとこの年賀状や結婚式写真を見ながら、可愛いなあ、2人の生活楽しいんだろうなあ、やっぱりいいなあ、と思った。実際には、田舎だし、収入が多いわけでもないのだろうけど、なんかいいなあ、と思うものがあった。

子供は卒業

離婚した両親については、いつか元に戻ってほしいと思っていたこともあった。だけど、それぞれとの関係も良くなり、いい人たちだけどお互いissuesもあるだろうこととか、結婚して幸せになるのは♂で、負担はほとんど♀に来てしまうこととかを知って、両親、よくやったやん、と思わないでもなかった。そうして、どうでもよくなった。

不思議なのだけど、子供のころに好きだったアニメや音楽にも、興味がなくなった。子供時代をやり直したから、もういいのかもしれない。

本領発揮

昔、母から家を出されたことがあった。10歳以下のときに、門限を守らなかったとか、そういう理由で。弟は出されたことはない。
これに対して、両親手放し中のときは、普通の家庭は子供を外に出したりしないのに(泣)と思っていたけれど、今や、そんなこともあったよねえ(笑)というかんじになった。余裕である。

悲しかったのに!と訴えるphaseを経て手放してみると、幸せと感謝を感じるようになった。それも超えると、執着がなく軽くなり、普通のこととして愛情を受け取れるようになった。
私は家族も友達も大好きだから、本当は誰かと離れるのはさみしいんだな~と、自分の愛の大きさも思い知った。前は絶望的な不安を感じることがあったけれど、つながりを取り戻したから、頻度も程度も減った。

こうして足を引っ張るものがなくなったので、ようやく本領発揮というか、ハンデなく、自分らしさがゆるゆる出るしかない状態になった。とらわれるものがなく、感覚に従うことにした結果、今を生きている実感が強くある。

気づけばvisionsやlifeworkが見えてきたり、思いもよらなかったことをやっていたり、人との出会いが良くなっているのが、今日この頃である。

今まさに親のことと向き合っている人へ。乗り越えた先には、愛と幸せしかないよ!数年かかっても、やる価値あるよ!

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