見出し画像

公社のススメ

異動が決まり、公社にいざ派遣されてみれば、めちゃくちゃ良かった話です。


異動が決まったあとの話

まず、前回の続きを話しておこう。話してないけど。
契約書にサインをし、楽しみです、いいポストだと思うよ、というやりとりを課長として、派遣を受け入れることになった。位置づけとしては、都の職員であるまま公社に派遣されて、都の何課の人(となりの課だった)として、席を置いたまま行くことになった。とはいえ、基本的には公社にいるものだ。メールも見られないし、都庁ポータル(というものがあるのだ)にも入れないし、「過去の健康診断の結果が見られないんだ!」と、公社にいたことのある人は言っていた。
仕事的には、異動が決まってから量が減った。その時点から始めたものを、異動までに終えられないからだ。
そして、引継書を作り、荷物をまとめることになる。引継書を作ることと、異動の前後で時間をつくってきちんと引き継ぎをすることは規定されていて、引継書の表紙と、「引き継ぎを行いました」用紙は、指定もある。
私の後任は、私がそうであったように新規採用だったので、4月になってから、戻ってきて引き継ぎをすることになった。

派遣辞令をもらう

管理職試験に受かり、公社ではない団体に派遣になった人と一緒に、後日部長室で辞令をもらった。課長もいた。その場にいたのは、私以外みんなおっさんだったわけだが笑、おっさん達は形式が終わって座りこんだあと、慣れた調子で、派遣先の地理的な話とか、仕事の内容とかを自然と話し始めた。私は、課長代理の代わりなんて期待の現れだね、と言われた。転職するんですけども!と心の中で唱えた。この部長も公社にいたことがあり、とても評判が良かった。
ちなみに、公社であれ、国であれ、派遣になるというのは、基本的には仕事がきちんとできて、外に出しても恥ずかしくないという評価だそう。もちろん、そうやって送られたからといって、みんなが優秀なわけじゃないし、それでもずーっと主任試験に受からない人も、いるにはいるけどね。

前任とご対面

異動が決まると、一般的には、前任が後任に連絡を取るものらしい。
私の前任からは連絡がこなかったので、電話をしてみると、テレワークとのことだった。その後メールが来ており、都庁で少し話すことになった。公式発表されていたので、前任がどんな人なのかは、まわりに聞いていた。
一応弁解しておくと、この人の理解では、私は都派遣という意味では後任だけれど、課長代理は公社の人が兼任でやることになっているので、ポスト的には後任ではない、とのことだ。いざ会えば、普通にいろいろ説明してくれた。
「私も民間から転職したの。それで言えることは、異動の希望はかなわないということ。ただ、うまくやっている人も、いるにはいる。
残業はほぼないから、趣味でやりたいことがあるなら、やればってかんじ。
みんな年齢層はあなたより上だけど、(座席表を見せながら)この人と友達になったらいいんじゃない。」
課長代理が兼任になることについては、知ったこっちゃない、と言われた。
あとでわかるのだが、この人は、「公社はゆるすぎる!」と怒りまくっていたそうだ。笑
そして、同僚になる人とも、報告書を納品に来たタイミングで、顔を合わせた。

異動が決まってから、いろんな人から、公社がある町(というか)の話を聞いた。公社の評判については、"ゆるい"が大半だったが、都よりも自由で楽しいのでは、と言う人もいた。その通りだった。
荷物をまとめるといっても、持ち物はmugとティッシュ箱くらいしかなかったので、引き継ぎに来るから~打合せでも来るから~と言いながら、あいさつもそこそこに、最終日に都庁を後にした。

公社初日!

で、いきなりなのだが…公社初日の指示メールは、わかりづらかった。笑
誰がいつ来るのか、全然わからなかったけれど、とりあえず行ってみる、な初日だった。みんなの前であいさつをした覚えはなく、公社の会議室で辞令をもらったはずだ。もちろん、すぐに辞めるんですけど、という罪悪感は、↑の”同僚になる人と会った”時点から、ひしひしと感じていた。

こう書きながら思い出してみると、あまりにも環境が違うので、私はかなりどきどきしていた。当然だ。救いだったのは、共通の知り合い・そもそもの知り合いが何人もいて、虎の威を借りられることだった。
そんな風にどきどきで始まった公社派遣だったが、すぐに慣れ、環境も人もとてもとても良いことがわかった。私はストレスが減ったのか、通勤距離が長くなったのに、買い食いが激減した。
異文化だった。
だからこそ、すぐに辞めてしまって、本当に申し訳なかった!
というわけで、ここからは、公社のススメと、公社事情についてお伝えしたいと思う。

環境が良い

まず、物理的に環境が良かった。新しいビルで、空調の性能がよく快適で、トイレもきれいだった(重要)。電話はわりとかかってくるものの、私の担当にはかかってこないので、静かだった。楽しい雰囲気あふれる社内報があり、理事が愛読書を語るコーナーがあったり、IT担当がテクニックを紹介していたりした。(都のことも、うちの会社、と呼ぶ人はいたけれど、社内報!)

みんな転職=雰囲気が良い

公社にはほとんど新卒がいなかった。そういう採用をしていないのだ。つまり、みんな転職を希望して、それがかなって入ってきているわけで、一般的には、幸福や感謝を感じる状況なのだと思う。派遣(都派遣ではなく、派遣社員ね)→嘱託になっている人も多かった。
そして、ここは俺の会社だ、という人もいないことになる。これがなぜ良いのかというと、「ここにはここのやり方があるのね」と、素直に受け取れるのである。公社は、半官半民なので、民から見ると、ああやっぱり半分は公務なのね…と思うものだけれど(起案とかね)、それでも受け入れられるのだと思う。
ちなみに、官から見ると、ゆるくてけしからん!と思う人が、公社は雰囲気が違っていいよね、となる人よりも多いのだと思う。だけど、出世コースの都の人なので、比較的理解はある気がする。

都から来る人は、みんな出世コース

というわけで、公社の要所要所は、みんな出世コースの都の人が固めていた。多少問題はあっても仕事はできて、人格的にもまあまあ良い人たちである。都で再任用を終えた人が公社に来るという流れもあり、「今は公社にいるだれさんによろしく」と、よく言われたものだった。もちろん、この人たちもいい人だったし、年の功で物知りなので重宝されていた。

サービス業=人当たりが良い

同僚のみなさまは、好奇心があり、私が困っていないかよく見てくれて、雑談もあいさつもしてくれた。と書くのはつまり、都にはこういう人が、皆無だったということである!笑
私が都の人だからということや、前任がいつも怒っていて怖い人で、後任の私が若くて怖くなかったので安堵していただろうということを差し置いても、同僚同士のやりとりは雰囲気がよく、微笑ましいものであった。

公社は基本的に、都の委託業務(主に補助金)を受けることが仕事なので、やり取りをするのは、基本的には都の担当者になる。つまり、とんでもなく怖い担当者にあたらなければ、ひどい目に遭わない。笑
そして、不特定多数相手の客商売とまではいかないが、補助金を交付する企業の人たちとも会うし、電話の問い合わせも受ける。この対応もプロで素晴らしかった。

都ではないので、風当たりも良い

そうなのである。都の団体とは言えど、都ではないので、都民の声や監査を恐れる必要もないし、誰かが怒鳴り込んでくることもない。そもそも、窓口への来客もほぼなかった。ここは、ストレスがかなり減るところである。

キャリア形成にも良いかも?

公社は各局が持っており、それぞれの専門分野があるので、「この分野で公共っぽい仕事がしたいな」と思って公社に入るならば、希望がかなうことになる。異動のスパンは都よりも長く、兼任もあるので、都のように放り出され、まったく新しい担当になって何もわからん!という状態にはならないことになる。
前述のとおりみんな転職なので、あの人は元○○なんだよ、という話をよく聞いた。見方によっては、それぞれのスキルや経験を寄せ集めてできている組織なのだけど、だからって研修がないとか、困るとかいう話でもなかった。

Work Life Balanceも◎

私がいたところに関しては、書いてきた通り、ストレスが少ない仕事だった。雑談をしている余裕もあった。
出世できるもんでもないし、スキルを身に着けて転職するぞ!な環境でもないけれど、専門性や自己実現はそこそこに、プライベートの時間をしっかり取りたい、福利厚生もほしい、というのであれば、公社はおすすめする。公務員志望なら、公社は競争率が低くて穴場!なんてのも、見たことがある。

人事・戦略には困っている様子

で、公社事情である。
ひとつ。都のキャリア採用は主任以上であるが、公社はみんな転職にも関わらず、階級は一番下としてしか採用できない。
ふたつ。都の要求・政策の変化・事業の拡大などなどに応える体制・人材が必要で、そのニーズに対応するのは大変。
みっつ。係長(課長代理)級の人数が、少なすぎる。都が採用を絞った時期があって(バブル後の不景気で、批判のまとになったときらしい)、その影響から特定の年齢層・職層の人がぜんっぜんいなくて、兼任ばかりなのだ。
そして、戦略なのだけれど、公社の経営プランなるものを読んでみると、「都に依存している」「委託額が下がっている」とか、「公社に任せなくても、ほかの会社でもいいかもしれないと都に思われたらどうしよう」とか、書いてあった。笑
子会社というのは、得てして公社と似たような環境なのかもしれない。子会社と思えば、子は親に依存するものなので、人格を持たなくてもいいのかもしれないが、戦略を立てると、独自の事業をやってほかの収入減を!とか言い始めることになる。もちろん、ばんばんやって、なのだけれど。

子会社ってこういうもんかな?

私は、各国から、民間から公務員からベンチャーから国際機関から、見事にいろんな場所で働いてきた。"子会社"については、経験がないけれど、得てして公社と似たような環境なのかもしれないなー、と思う。安定してるけど、親会社からの出向の人が多い。仕事も比較的ゆっくりで、待遇もそこそこ良いけど、仕事をがっつりやったるで、ではない。

その後

そういうわけで、とても良い環境だったのだけれど、予定通り辞めることになった(その話はまた別に)。本当にとばっちりで申し訳なかったけれど、不思議な縁だった。この記事も、とても楽しく書けたのだった。

この記事が参加している募集

#この経験に学べ

53,658件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?