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ボイトレ習いました


ボイトレ始めました

ここ1年半、ボイトレに通っていた。
きっかけは、ここに永福町の記事を書いて、声優になった寮友達を思い出したことだった。

ボイトレにはずっと興味があった。というのも、私は話す声が通らず(アメリカのpartyは基本的にうるさいので)、絶対音感ではあるものの、カラオケに行くと必ず「萌え~」と言われてしまうことがcomplexで、人前では歌わないし、もう何年もカラオケには行っていないのだった(歌う曲の問題なんじゃない?と思ったそこのあなた。秦基博でも、萌え~って言われるのよ、ワタクシ。話す声は普通よ)。
調べてみたら、無料体験だし、これは日本にいるときにやっておいたほうがいいことだ、と思った。そして、体験に行き、じゃあ歌ってみましょう!となり(そりゃなるよね)、色々トレーニングをしてみたら、すぐに違いがわかる結果が出た。
というわけで、歌を習うことにした。

私は裏声ばかりで拡散して歌っていたので、集めるとか声帯を閉じるとか、そういうことを練習し、めきめき上達した。そうして歌を習って半年経ったころ、飽きてしまった。笑
というのも、私がだいたい半年くらいで物事に飽きるタイプだというのと、同じ曜日にしていたせいであたる先生が2人だけだったのと、ずっと同じ曲を歌っていたからである!
同じ曜日にしていたのは、ジムクラスに行く日を避けていたからなのだけれど、歌から話し方のコースに変えることにしたタイミングで、曜日も変えてみた。すると毎回ほかの先生にあたり、「同じ曲を半年もやってたら、そりゃ飽きるし、普通は違う曲を提案するんだけどな」と言われたりした。

話し方を習っています

そういうわけで、歌から話し方コースに変えた。奨学金やら仕事やらで面接があることもあり、話し方も習っておきたかった。
話し方の先生は、声優かナレーターになる。どちらの出身かによって、雰囲気も違うし(声優はとっつきやすく、ナレーターはきっちりなかんじ、イメージ通り)、歌もそうだったけど、先生によって全然教え方も雰囲気も違った。
ちなみに、話し方を習いに来る人は様々で、

  • 1日のうち、コンビニの”あたためますか?”しか会話をしていないことに気づいたSE

  • "異議あり!"と言ったら、聞き返されてしまった弁護士

  • 低い声が魅力的なのに、男っぽいと言われて困った美容部員

なんかが来るらしいよ。笑
さらに面白かったのが、文節を切って巻き返すことで強調する、という技術を習ったとき。"クリリンのことか"と、"海賊王に俺はなる"は、どちらも3回強調しているというのが、とてもわかりやすかった。

話し方コースにはカリキュラムがあって(ボイトレにはない)、順番に進んでいく。基礎のあとは、五十音の行ごと発音に行くのだが、私はボリュームや伝え方に興味があり、日本語の発音には興味がないし、ナレーターのように原稿がある仕事をしているわけではないので(仕事で困っているわけでもないし)、しばらく進んだところで、もういいな、と思った。
話し方の上達には、歌よりも時間がかかった。だけど、コツはわかったし、普段のお店でのやりとりなんかでは、そもそも大声で届けたいとは思っていない、ということもわかった。笑
そして、歌のコースに戻して、辞めることにした。話し方コースの話は↓にも出てくるよ。

歌に戻る(洋楽)

声優やミュージシャンの世界は、私が普段いる世界とは違うので、話を聞いているだけでおもしろかったし、レッスンならではの、質問にいくらでも答えてもらえるところもよかった。とはいえ、月謝がそれなりに高かったのと、半年くらいで飽きてしまうタイプなので、1年以上経つ頃には、もうなんか飽きていた。笑
歌に戻したときは、洋楽もばっちり歌うで!という準備ができていたので、洋楽を習い、平和に幕を閉じた。
午後に予約して、近くで遅いランチを食べて帰ることが多かった。1か月たったころ、よく行っていたお店が恋しくなったが、並ぶ上に"麺をゆでるにおい"がすごくするので、もう行かなくていいかな、と思った。

声と文化の違い

特定の先生でお願いするのではなく、ランダムにしてもらっていた(おもしろかったので)。すると、初対面の先生が多く、どうして習いに来たのか?悩みはあるのか?なんて聞かれることになり、レッスンノートもあるようで、それを見たらこう書いてありましたね、なんて言ってくれる人もけっこういた。そういうわけで、私は英語も喋るのです、とか、今の仕事はおっさんばかりなのです、なんて話すことになり、私は日本が嫌いなのです、と言わなくても、"日本はなぜか女性の声が異常に高い"とか、"日本は文化的に声に感情を乗せなくてややこしい"という話が出てくることに驚いた。

「内向的なアジア人は、基本的に感情を抑圧しています。」
そこから始まり、話し方の先生みんな、”日本では感情を抑圧して生きている”という共通認識を持っている。なんたる悲劇である。
感情を乗せない代わりに、techniqueで工夫するということを教わり、なんとめんどくさくてややこしいことか!私はほんまに、そうしてまでこの文化・国にいいことがあるとは思えないので、出るしかない!と思った。
もちろんいつも通り、最初は同意してくれても、"だから脱出するぞ!"ではなく、"まあ、そうは言っても"で終わるのだけれど…

感情を乗せる

話の延長で、"日本のタレントがHollywoodに進出するときは、普段声に感情を乗せないことに慣れているので、感情を乗せるトレーニングを必ずする”と聞いた。感情が乗っている人は、魅力的に見えるので、留学生が輝いて見える理由でもあるそう。たしかに、わかる気がする。
反面、感情を乗せない文化の中で乗せていると、本人はまったく気づいていないが、魅力的に見えるので、痴漢にもあうらしい。そのmechanismはなんとも言えないところがあるし、心理学や感覚的なことでなく説明できれば…と思うのだが、私にはとても腑に落ちる話だった。
"オープンなところが魅力的"、と言われたことがあった。まさにそれである。そして、あまりにひどいめにあって嫌になったので、私はいわゆるクールになった。英語の時は、こんなに構えないよ。

心理学では、”目立つ人は、目立たないようにしても逆効果”とか、”自分には魅力があることを受け入れて出す”と言う。だけどこれ、簡単じゃないのである。自分には何も魅力がないと思っている人に、あるよ!言うのは楽だろうけど、自分に魅力があるからこそ、開いたら刺される!と思っているタイプはどうしたらいいのか、長いこと悩んでいた。
わかりやすい説明も実践も見つからなかったし、心理学、役に立つぜ!から、それだけではすべては解決できないな、に移っているタイミングでもあったので、やっぱり環境要因もあることがわかってほっとした。
開いたらいいことが起きる、に変えていくのが良いらしいが、それが体感できたのは、このあとカウンセラーのイベントに参加した時だった。

前に出て表現すること

狭い防音ブースに入り、ほぼ初対面の先生と2人で、はい歌って、となるのがボイトレである。一気に距離を詰めるような感覚で、身構えたくなる。こんなに距離を詰めてしまっていいのか?どこまで目を合わせればいいやら…と思って緊張してきたり、褒められてドキドキしたりした。相性が合わないと最悪だけど、先生たちも仕事なので?それほど悪いことはなかった。相手は仕事、こっちは自分を出し、お金を払ってお願いしている、という、なんともasymmetryな関係なのだった。
先生たちは、やはり声が共鳴していて素敵だった。そして、時節柄マスクなので、顔上半分だけ見て素敵だなーと思い、下半分が見えると、そうでもないな、と思っていた。笑

そうしているとわかるのが、声って技術だけじゃなくて、精神面もあるよね、ということ。家では出せない大声を出そう、とか、止めているよね、止めないで出そう、とか、抑えないで出すこともよく言われ、これって声だけの話じゃないよなあ、と思いながら、自分の力を解放する意識でやっていた。心理学で自分と向き合ってきた時期でもあったので、最後には、自分を表現するーというか、没我のような状態で、歌うことができるようになった(しかも洋楽で)。これには、変化を実感した。

「全然萌えじゃないし、可愛いなんて言わせないです。強さを秘めていて、芯があるのがわかります」
と言われながら、そうだ、私はもう"日本の可愛い"やら、友達が期待するカラオケのイメージやら、そういうものに合わせないで、自分の良さを出していいのだ、と思えたのだった。

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