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私の戦い

夜中、何気なくメールを見たら、一通のメールが届いていた。
それだけでわかった。だめだったのだと。

心臓がばくばくしていた。
そのメールを開くことができなかった。落ち込むのが目に見えていたからだ。
もちろん、このあとfollow-upメールが来て、実は通っていた可能性もある。だけど信じられなかった。一気にメールが何通も来ないということは、たぶん、そうなのだろう。
明日チェックすることにしよう。


国連からの連絡は、いつも、忘れた頃にやってくる。
6月後半にdecisionをするから、と言われていたので、先月から気になってはいた。
忘れた頃にいいnewsがやって来るのであり、待つものは来ないとなれば、気にしていることでだめな現実を引き寄せてしまうような気分になる。そうして怖くなって、気を逸らす。
そうだ、きっと、気になっているうちは来ないんだ。忘れるまで待とう、と。
意識しすぎると、メールをチェックするのも怖くなって後回しにしてしまう。だけど、無視するのってすごくenergyを使うし、気になるのはなくならない。
そうして、不意にーそれは、なんとなくごろごろしている夜中なんかに、そんなメールが来てしまうのだった。

ショックな気分に引きずられ、すべてが不安になってくる。
私のやりたいことは、できないんじゃないか。自分に合っていなくて、もうすぐ辞める今の仕事だって、うまくいっていないじゃないか。
感覚派で生きていても、自分は器が大きくて住む世界が違うんだと思っていても、セクハラでパワハラで男尊女卑で話が通じない今の同僚に飽き飽きしていても、
私はこのままじゃ、やっぱり、だめなんじゃないか。そう不安になる。

…いかんいかん。

正直なところ国連は、私のやりたい仕事とbest matchではないと思っていた。副業もしたいのに、できないかもしれない。ITにも興味があるけれど、そこまで進んだ職場ではなさそうだ。となると、面倒だ。
そして、私のfieldで配属になるであろう場所・Nairobiも気が進まなかった。3年間のroster期間、大学院に行きながら、2年待って入る、ということも、少し目障りであった。職種は…まあ、ありかなあ。

だけど、やっぱりショックなのも事実だった。
YPPは今回が最後のチャンスだった。大学院のあとに行く場所が決まっている安心感もほしかったし、長年の目標だった。
私は国連に幹部候補として入る器なんだぜ!と、まわりにも宣言したかった。国連を目指す人たちへのアドバイスもしたかったし、実際どんなところなのか、自分の言葉で語りたかった。


大の字に寝転がり、深呼吸をして、
そうした気持ちや感情や考えのすべてを、受け止めることにした。
「今、ここ」の体の感覚に耳を傾けてみると、疲れていた。1:30だった。
寝よう。今、思いのたけを書いても、疲れているし、解決にならない。
最近星野源にはまっていて、楽しく音楽を聴きながら本を読んで過ごしていたけれど、今回YPPに落ちたことと結びついて、嫌な思いと共に思い出すものになってしまうのかなあ…

面接まで行った。
それを、すごいと見るか、受からなかったと見るか。
事情を何も知らない人には、その重大さも伝わらないんだろうなあ。

こういうrejectionsは、もう何度も経験したけれど、前は絶望的な気分になって沈んでいた。去年JPOの面接に落ちたときは、1か月沈んでいた。
今、そこまででなく落ち着いているのは、成長というか、私が回復したと言えるのだろう。
このごろ、「今の会社は単純に自分に合っておらず、最初から関わるべきじゃなかった」と感じることが多く、去り際に感謝すべきなのに、きれいに去れって言われているのに、さみしがってくれる人もたくさんいるのにと、後ろめたかった。
だから、書きたかった。私はもっと大きい器で、YPPに受かってしまうのだから、後ろめたく思わずに去っていいのだと。まわりと自分がとても違う感覚を覚えていても、それは長所だからいいのだと。
そう、私と似た境遇の人を、勇気づける記事を書きたかった。いや、書いていた。
だけど、書けなくなってしまった。
国連は、私にとって、まだ終わっていない戦いなのだった。


ここで受からない現実を私は引き寄せてしまったのか?これはどういう意味なのか。
もっと大学院にcommitしろということなのか(身に覚えがある)。これから勉強することを、もっと好きになっていい、というやつなのか。

そもそも関わるべきじゃなかった会社を、どう去ろうか…
縁を切れるのか、収入的に切っていいのか。週末の仕事の打ち上げは行くのか、断るのか。送別会はどうするのか。健康診断のあとに精密検査を受け、結果を待っている、と言わされてしまったけれど、よかったのか…仕事を休む結果にならない限り、隠しておくつもりだったんだけど。
週末にカウンセラーの人生相談に投稿をしたものも、珍しく採用されなかった。もう頼るべき場所は違うよ、ということなんだろうなあ…

困ったとき、誰が助けてくれるか考えるといいらしい。
今回は、誰に報告できるかな。応援してくれた先輩と、親と。来週会う友達にも話せるかな。
そうして私は、寝る支度を済ませ、眠ることにした。


失恋したとき、ショックなことがあったとき。忘れたいと思っても、ふと寝起きに思い出してしまう。そして、そういうときに限って、何度も目が覚めてしまう。
辛いな。明日は、自分にごほうびを与える日にしよう…
そうして二度寝三度寝を繰り返すにつれ、自分が元気になっていくのがわかった。いつも通り朝の時間帯に携帯から打刻し、ベッドに戻り、起き上がったときには、午後だった。
テレワークで、こうやって眠っていられるのは、今の仕事と状況のありがたい点なのかもしれない。もちろん毎回こうできるわけではなく、前にショックなことがあって、翌日大学でworkshopをやらねばならず、死んでいたこともあったなあ…

これからも、狙い続けるのだろうか。
JPOは、年齢制限的には、まだ受けられる。ただYPPよりも待遇が悪く、気が進まない。だけど大学院に行けば、再びinternやなんやらで、違うチャンスが舞い込んできて、縁があってさっと入れるかもしれない。
この結果で良かったのかもしれない。そのほうが自由に、私らしく働けるのかもしれない。

そうして、少し元気になった私は、メールを開いてみた。
やはりfollow-upは来ていなかったが、中身は、よかった。

期待した結果でなかったことはわかる。
だがしかし、975人受けて、最終的に受かったのは36人、確率は4%以下なのだ。
だから、ここまで進んだことを、褒めるよ。

という内容だった。
このStatsを見て、私はほっとしたのだった。


面接の感触は、おおむね良かった。経験してみないとわからないところもあった。面接はすごく苦手だけれど、今回要領がわかって、前進することもできた。後悔もない。
面接予約を思い出してみると、面接も倍率は何倍もあったことがわかった。ということは、私と同じnewsをもらった人も、結構いるということになる。
"このコツがわかっていれば、もっと何度も試験を受けられたのに!そしたらもっと経験を積めて、受かったかもしれないのに~"と思っていることは、いつか書きたくなった時に、有料公開にしよう。

気分がすっきりしたので、掃除洗濯を済まし、出かけた。
もちろん仕事時間中だが、今日はメールが来ないし、やることもない。
そうしてごはんを食べていると、この記事の内容がだーっと浮かんで、メモを取った。


器の小さい人がうらやましい。
仕事にこだわりはなくて、なんでもいいとか。勉強したことの延長の仕事をしていて、学生のときの相手と結婚して家庭を持っているとか。
言わば狭い世界の、平凡な人生。その中でやっていけて、満足できることがうらやましい。

私はそうじゃないから、苦労する。それが、最近のテーマなのだった。
私は狭いところではやっていけない。苦痛すぎて精密検査になるほどに。
だから挑戦するしかない。それは私が変わっているからで、まわりに理解してもらえないのも、しょうがないーと、自分を責めてしまう。
だけど、まわりから見れば、外に出て行けてすごい、となるらしい。
穏やかな人生がいいと思うけど、そうはいかない運命だから。そのおかげで、できることがあるから。
背負ったものが違うから。やるしかないのだった。


全世界を相手に、そんな確率の競争をやって、最後の面接までたどり着けるって、それだけですごいじゃないか。
よくやったじゃないか!
甘いものを食べながら、そう投稿を書いてみて、本当に、そう感じた。
そしてすっきりした。
私に必要だったのは、戦いを労うことだったようだ。
YPPもJPOも、面接まで行けるのだ。それだけですごいことじゃないか。
もう、受かるのは時間の問題じゃないか。と思った。

帰路で、思った。そうだ、これが私の戦っている戦いなのだ、と。
仕事を毎日するとか、そういう話ではないのだ。
まわりにはわかってもらえなくても、長年の夢だって宣言していなくても、私は、大変な戦いをしているのだ、と。

占いによると、今月は何かが舞い込んでくるらしい。
楽しみに待とうじゃないか。

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