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英語=かっこいいについて

良くも悪くも特別扱い

長いこと好きで見ているんだけど、最近合わないなあ…と感じているSNSアカウントがありまして。そう思った理由のひとつが、ここのliveを英語で見ている人に対する反応。コメントがあると、ぜったいに読み上げる。そして、必死で翻訳している人もいる。"英語の勉強にもなってうれしい"、"しゃべれる人うらやましい"というコメントが並ぶ。

これの何が悪いの?と思うだろうか。私が翻訳する幕がない、ではなく笑、いろいろ思うことがある。
まず、特別扱いして、質問にもrequestにも必ず答えていることは、親切だし美徳と見ることもできるのだろうが、私にはなんかかゆい。なぜなら、この対応って、ほかの国ではありえない。国際的な対応では、参加するなら好きにしてね、気にしない、が通常だと思う。駅の表示が5か国語になっていることなんて、それが全部公用語でない限り、ありえない。見方を変えれば過保護なのである。
もちろん、本気で海外に広報をするつもりならその策をとればいい。けど、そうじゃないなら、やめてくれーと思う。(そして、翻訳している人は訳ありっぽいので、近づかないことにする)

ペット扱い

で、なんで私が頭を悩ませるのかといえば、まず、「日本人以外」に対する好奇心や特別扱いが、良いものとは限らないから。
思い出すのは、日本に20年近く住んでいた国連の同僚が言っていたこと。
「どれだけ日本に長く住んでいて、日本語ができても、日本人とは思ってもらえない。アメリカでは、誰でもアメリカ人。それはいいところだと思う」
「箸を使うのがうまいね、ってよく言われるのは嫌なんだ。そう言われたら、君もフォーク使うのうまいね、と返すようにしているんだ」

大学で、TESOL-英語の先生になるためのプログラムの人たちが多いクラスを取っていたことがあるのだけれど、"日本ではペット扱いされているような気がする"、と聞いたこともある。
たしかに、見て見て!この人、背高いでしょ?見た目違うでしょ?めずらしいでしょ?と見せびらかしたくなる気持ちは、ペットのものと近いかもしれない…そして、そういう違和感があることが、外から来た人たちが、地元の人ではなく、駐在同士でつるんでいる理由でもあるんだろうと思ったりする。

で、これが島国だから起きているのかは、ほかの島国に行ったことがないのでわからない。ハーフであっても日本人とは思ってもらえない反面、名前と民族が日本であれば「外国人」ではなく仲間と思うところからすると、民族identityが理由のような気がする。

英語ができるとかっこいい?

そして、英語かっこいい!すごい!についても、うーん、と思う。
留学中、帰国して美容室に行ったり、夏休み中のバイトなんかに行って、
"英語がしゃべれるってかっこいい"対応をされるのに、飽き飽きしていたことがあった。わかった途端に、私の扱いが変わる。進学校に通っていることが判明して、まわりがこっちを見る目が変わるみたいに。そして、展開はいつも同じ。すごい、なんかしゃべって、わー。以上。
田舎(地方都市)のカフェで勉強していたら(online classを取っていた)、近くで勉強していた高校生に、
「すごいよねー、薬学部に入ればあんな風になれるのかな」
なんて言われたこともあった。(薬学部志望なんだね)
この、私自身には話しかけていないのに、私の話をしている、という構図も、独特だ。だって全部聞こえているもの。

しゃべれるのがすごい、じゃなくてさ。
しゃべれないと、生活できないんだって!特記事項じゃないんだって。
それが、わかってもらえないのだった。今や時代は変わり、ところ変わって、こういう対応はされなくなってきている。よかった。

なんで憧れるのか

韓国ドラマでも、"英語ぺらぺらでかっこいいイケメン"なシーンがあるので、憧れは日本だけではないのだと思う。だけどさあ。これは植民地とか、富国強兵とか、白い肌=良い、の延長だよね???
いつも思い出すのが、高校の英語の先生が言っていた、
「日本でうれしそうに英語で案内をしている人を見て、これが植民地支配ということなんだ、と思った」である。

そして、この憧れって、ビジネスのために作られたもの・利用されているものだよね?その憧れをお金にして、大量に勉強法の本やなんやらが出ているけれど、ほんまに必要なん?使うの?学びたいと思っているの?そんなんでほんとに仕事の幅って広がるの?
”ただ、かっこいいから”
”旅行の時にできたらいいなーって思うから”…そう思うのはいいんだけど、やるなら本気で、やらないならそこまでにしてさあ。
コンプレックスも、憧れも、やめません?

日本と韓国しか受けていないTOEICがなぜか重視されていることは、滑稽でしかない(私は受けたことがない)。2か国でもinternationalって言えちゃうもんね?笑
(TOEICを受け付けている語学学校・大学は、それだけ日本人が多いってことだよ)
賢くなろうぜ、消費者!と思うのである。

できなくてもいいんじゃないか

じゃあ、どうすればいいのか。私はどちらでもいいと思っている。
旅をするなら、少しは現地の言葉をしゃべれるようになっとけ、というのは、まっとうなことだと思う。学ぼうとしないのは失礼だとも思う。だから、頼むから翻訳はやめてほしい…特別扱いしないでくれ…見る人だって日本語がわからないの承知で見てるんだ、特別対応求めてるわけじゃないんだ…というのが一つ。
「日本の人は、みんなあなたみたいに、英語がうまいの?」
と聞かれたこともあった。答えはもちろん、NO!である。それをいけないことだと思わなければいい話だ。
最近も、
「旅行するつもりなんだけど、英語でなんとかなる国なのか?」
「表示は英語。通じないけど、道は教えたがるし、教えられないことを申し訳ないと思う人たちだから、大丈夫」
と答えたのであった。笑 こんな国も他にないであろう。

英語くらいできとけよ

同時に、英語くらいできるのがあたりまえやんけ、とも思う。ノリでなんとかなるよ~とか、英語が喋れない=おもしろいというのも、寒い。寒すぎる。見ていられない。(このノリの違いについても、話しても伝わらないのが不毛である)
基本的にどこでも英語が通じるのは、便利だし世界の事実である。英語をしゃべることに対してなんとも思っていない、普通にしゃべれる人たちからすれば、別に気にすることでもなんともない。便利よね、以上、である。

話を戻そう。
要するに、このアカウントのコア層とは、私は客層が違うんだと思う。だからこそいい情報が入ってくることもある。だけど、参加するよりは、archiveで見たいところだけ見るほうが、いいなーと思うのだった。

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