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大人の反抗期

通常思春期・反抗期が来るべきときに、私はそれどころじゃなかった。元々emotional neglectな家だったことに加えて、転校からの大事件が起きてすっかり自信を失った私は、そのまま自信のない子供時代を過ごした。

反抗期がなくても、問題なく自立・相互依存に行ける場合もあるらしいけど、私はそうではなく、大人になってから反抗期が来て(ようやく!)、両親と連絡を絶つことになった。


母と連絡を絶つ

母とは、病気休暇を取りながら引っ越して実家を出たあと、年明けには家に行ったのだが、その後連絡を絶つことになった。
理由は、母がうざかったのである。

いわゆる家族lineというやつがあった。両親は離婚しているので、4人家族-父なわけだが、その内容はいつも、母からの、

母:今日はここでお昼を食べたよ
(私も弟も反応しない)
母:うんとかすんとか言ってよー
弟:うん

だった。笑
母から私たちに対して、"元気?"もなければ、自立して楽しくやっているよ、という印象でもない。いつも、助けが必要なのは母で、頼ってくるのも母だった。そういうつながり方しか知らないのだろう。自分で調べればわかることも聞いてくるし、馬鹿なふりもする(もしくは本当に馬鹿なのかもしれない)。
「老いちゃったから、何も自分ではできないの~。老後の面倒は絶対に見てね、見放さないでね」
これが、親の役割を全うしてくれなかったくせに!と感じていた私には、うざかった。

あるとき、こんなくだらないことを聞いてくるなんて…そろそろ自由にさせてくれ…と思った私は、messageを無視した。
そして、母は無視されると、怒るのである。それは一見怒りではなく心配に見える。心配のメッセージが並ぶ。しかし、一旦既読が付くと、それは自分を無下にされたことへの責めに変わる。
だから一旦無視したら、反応できない。責められるからである。

ところで私はrebel tendencyでもあるし、適当な性格なのであるからして、つきまとわれるのは嫌い、近寄られるのも嫌い、頼られるのも邪魔されるのも嫌い。そういう性格であることを、母はわかっていてもいいものなのだが、どうやらわからないらしい。

母の武器

そういうわけで、母からは、
「返事がないなら家まで行くよ」攻撃が来た。
返事しないってことは、私はNOを言っているのだが、それが伝わらない…私は大変に怖かった。家に帰って母が立っていたらと思うと、安心できなかった。

弟は遠くに住んでいた。私は、まあまあ近くに住んでいた。

母をblockし、弟を通じて、私は無事でただうざいだけだ、と伝えてもらうことにした。
「母が異常な反応をしているとは思わないけれど、伝えておくよ」
はさんでごめんよ、弟。

その後母からは、「うざいのはわかるけど、心配するから、連絡はほしいな」と来た。Again, これは一見、心配しているように見える。だけど、母が求めるものは一つ。
「かわいそうな母をかまうのは、娘の責任でしょう?」

父と連絡を絶つ

時を同じして、父が異動し、今までのように頻繁に会いに来られなくなると言われた。そう言われても、私は会いたくない気分maxであり、断ったところ、自然と会わなくなった。
今までは、親父と会う=タダメシで、学生としてはありがたかったのだが、自分で稼ぐようになったので、好きなものは自分で買えるようになった。親父の話も正直おもしろいわけじゃないし、嫌なこともされるしなあ…と思って来たところで、泊まりに行くのもやめたいと思っていた。

その後、引っ越したあとに住所を聞かれたのだが、教えたら大量の食品が送り込まれることは目に見えていて、断ったところで止めないこともわかっているので、私は教えなかった。
その後、母が戸籍を取り寄せたときに、”親父が戸籍を見ればあなたの住所はわかるからね"と言われ、私は本気で戸籍を抜こうかと思った。

戸籍は一度抜いたら戻せないということがわかったので、抜くのはやめた。

  • こういう理由で、これを贈りたいのだが、送ってもいいか?

  • 住所を教えてくれないのはなぜなのか?

そういうことを、どうして父は聞けないのだろうか。
そうしているうちに、父は仕事の都合で戸籍を取り寄せた。
「すると、あなたの住所が載っていたので、荷物を送りました」

…悲劇だった。これを見たのは地下鉄で、私は泣きたくなった。
住所を教えないってことは、私なりのNOの伝え方だったんだけど…やはり伝わらないらしい。

家に帰ると、案の定、不在通知が入っていた。うちには宅配ボックスがない。
そして、この荷物は…受け取らないと返却されるということに気づき、私は再配達の連絡をしなかった。

荷物が戻ってきたことについて、親父からは一切連絡はなかった。


そうして年が明けると、pandemicに入った。仕事はあったし、pandemicという目を逸らす対象もあったのだが、その後出向・転職して当時のpartner(今考えると完全に父親代わりだった)と別れたあと、私はデッドゾーンに入ってしまった。

終わった

そうして関係を断ちながら、自分のことと向き合った。
先におばあちゃんと再会し、おばあちゃんの懇願もあり、母とは1年後に連絡を取るようになった。父とは、ぶるぶるに行くことが決まったときに、連絡を取った。

関係を断っているときは申し訳なかったのだが、必要な時間だったと思う。そして、ある日大人の反抗期が終わり、関係は簡単に修復できた。
終わるわけないと思っていたけれど、いつの間にか、抜けていた。

そして、反抗期が終わって自立すると、なんだかとても楽になった。自分を責めない。満ち足りている。そういう感覚があった。
元々反抗的な性格であるのは、今もなのだが、そこに熱量がなくなった。

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