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復興城主として訪れた熊本旅行(1日目)

ふるさと納税で熊本城の復興城主となってから「自分の目で熊本城の復興状況を確かめたい」と思っていたので、仕事に都合をつけて金曜日から一泊二日で出かけることにした。熊本城に行く前に…熊本県観光サイト「くまもっと。」を見ていたら空港から車で1時間30分車を走らせると阿蘇山に行けることに気付く。1日目はdカーシェアで6時間の阿蘇山カルデラドライブ。2日目は熊本城巡りと郊外へのバスの旅。
旅行日:2022年12月1日(木曜日)〜12月2日(金曜日)

金曜日に仕事が入らないようにスケジュール調整をしていたが、取引開始間もないパートナーから「プログラムの説明をして欲しいー」と言われ、「よろこんでー」とMacを持って旅行に行く事になった。いつも通りサムソナイトのトートバックに荷物を詰め込んで、家族を起こさない様に早朝家を出た。リムジンバスに乗り、羽田空港へ到着。観光サイトを見てランチは阿蘇山で絶対あか牛丼を食べようと決めていたので、朝は水分のみで我慢。
10時前に熊本空港に到着。慌ててWiFiを探すが繋がらない、デザリングで繋ぐが資料が映らない、仕方なく電話でZoomに参加してその場は口頭説明で切り抜けて仕事は終了。
阿蘇山へ向けてキョロキョロ看板を探して、バス停を通過した先にdカーシェアを発見。カーナビで最初の目的地「いまきん食堂」を入力して、やっと出発できた。
カーナビが目的地いときん食堂まで正しく連れて行ってくれず、ぐるぐる回っていると商店街の中に唯一たくさんのお客さんが待機しているお店を発見、やっぱりいまきん食堂だった。お店の駐車場は満車で、その先の文房具屋さんの駐車場に駐車。文房具屋さんに立ち寄り駐車場代を支払い、ようやくいまきん食堂に到着。店先で一人予約を伝えると、1名なので比較的早く入れると伝えられ、待つこと20分、カウンター席に着席した。

引き戸の入り口から入って目の前、調理場の前に陣取り、すぐにあか牛丼を注文。運ばれてきたのがこれ、とにかく柔らかくて一口目からあか牛のファンになった(帰宅してすぐにふるさと納税をポチったぐらい忘れられない美味しさだった)。あか牛は生後8ヵ月〜14ヵ月で出荷されるまで、阿蘇の草原の中でストレス無く育つのだそうだ。

あか牛丼、スープ、お漬物付き

大満足でお店を後にして、世界最大規模(1番ではないとのこと)のカルデラを写真に収めようと大観峰へ移動。阿蘇カルデラは、巨大火砕流噴火で大量のマグマを噴き出したことによって、地下が空洞になり地面が落ち込んでできたものだという。噴出したマグマの量が半端ない。カーナビに従って進んでもどこが大観峰か分からず、国道212沿いの駐車場でパチリ📸。

大観峰だと思われるあたりから撮影

カルデラの端から阿蘇山までのこの距離ー、カルデラの大きさを体感。
この時点で13時30分、dカーシェーアの予約もあと半分なので、阿蘇山へ移動開始。草千里ヶ浜に行って、中岳火口を覗き込むまでがこの後のプラン。

渋滞も無く、途中で放牧中のあか牛を見つけ、順調に草千里ヶ浜駐車場に到着、歩いて草千里ヶ浜へ。旅行が12月上旬だったので写真が寒々しい様に見えるが、四季により異なる景色があるようだ。

馬のフンだらけの草原

小さな坂を登り、中岳の山頂を見るとかなりガスが出ているように見える。この先に火口まで行ける高速道路があるので、前に進んでみる。

草千里ヶ浜の高台から見た中岳

阿蘇山上駐車場に到着。今思えばロープウェイが動いていたか確認すれば良かったが、更に車で進むと高速道路料金所で「今日はガスが出ていて火口には行けません」!!!そんな事があるのか…今日の2つ目のクライマックスはむかえられずにUターンして駐車場に戻り、草千里ヶ浜を通過して、途中白川水源を経由して隈本空港へ移動した。

熊本空港から熊本市内まではリムジンバスを利用した、ここはSuicaでお支払い。熊本市には行った事がないが、地図を見ると通町筋で降りると良いらしい。1時間弱のバスの旅、周りをキョロキョロしながら通町筋がアナウンスをされるのを待つ。
通町筋で降りてみると、熊本城もよく見えて、大きな商店街・アーケードが左右に続いていている間をはしる大通り。ここから本日の宿まで歩いて移動することにした。

通町筋バス停からの熊本城

宿泊先はKKRホテル熊本、熊本城にとても近く、商店街までも徒歩圏内、寝ることだけを目的とした小さな部屋で快適に過ごせそう。

ホテル前にある道路から撮影した熊本城

国内へ旅行するようになり、改めて居酒屋の素晴らしさに気が付いた。一人で立ち寄れて、地元料理を小皿で、地酒をグラスで注文出来るのがありがたい。今回伺ったのが「ねぎぼうず」。最初に現金を皿に入れて、注文するとお店の人がつど精算するシステムは、明瞭会計でありがたい。加藤清正公による熊本平野、八代平野、玉名平野の干拓事業が熊本に米作りを盛んにして、米焼酎、日本酒作りの基礎となったことはよく知られている。また、馬肉を食すのも加藤清正公が朝鮮出兵時の食糧難が発端だと聞くと、今の熊本の食文化の基礎は、戦国時代に作られたと想像する。

手前が一文字ぐるぐる、後ろが辛子レンコン

居酒屋の後は熊本ラーメンを食べようと思い、下通アーケードをぐるっと歩いたが、お腹が空かない…コンビニでお酒を買ってホテルでゆっくりしようと決めて、1日目が終了。お酒は口をつける程度であっという間に眠りに落ちた。

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