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生きる為に高校を辞めた


11年前の10月29日、私は通っていた高校を退学した。

クソ真面目なのに勉強が出来ず、所謂不良高校と呼ばれる高校に入学した私はクラスに馴染めず、一応グループみたいな物には所属していたが明らかにハブられていた。
宿題や課題は必ず提出しないといけないと教えられていたのにその高校では宿題や課題を提出した人間は異常者だとされていた。
そんな高校に通っていると当たり前だがストレスが溜まる。夜寝ても寝ても眠たい。通学時間は立ったまま寝るし休み時間も寝て、ハブられていたので移動教室にも起こしてもらえず遅刻した事もあった。真面目にしているだけで仲間外れにされ異常者扱いされる毎日。
そして入学して半年が経過した夏休み明けの登校日、遂に登校拒否の不登校になった。

そこから辞めるまでの1ヶ月半、両親はあの手この手(主に怒鳴ったり殴ったり)で高校に行かせようとしたが

・学校の最寄駅に着くと涙が止まらなくなる
・制服を見るだけで発狂する
・希死念慮と自殺願望が止まらなくなり自殺未遂をする
・自傷を始める

など、精神状態がどんどん悪くなっていくのが自分でもわかるくらい、私はどんどん狂っていった。
保健室登校をしている事がクラスの話した事もない派手なグループにバレ(担任がバラした)何故クラスに来ないのかと聞きに来た日もあった。その時どうやりすごしたか覚えていないが帰り道に駅のトイレで吐いた事だけ覚えている。

それでも両親は無理矢理にでも高校に行かそうと必死だった。
そんなに高校に行かない事が悪なのか。学校に行けない事は異常なのか。
そもそも、この高校を受験したのは両親が決めたからだった。成績が悪いので生きたかった高校には行けない。しかも家に金がないので通えるのは公立だけ。どれだけ受験したくないと言っても親は聞く耳を持たなかった。

きっと両親は私の事を両親の理想とする子供にしたかったんだと思う。親に迷惑をかけない失敗しない。親の言う事をきちんと聞く素直な子供になって欲しかったんだと思う。

退学する3日前の10月26日、私は父親と学年主任に教室まで引き摺られ、朝から夕方まで教室で授業を受けさせられた。朝廊下で行きたくない、入れないと泣き叫ぶ私を周りは奇妙な目で見ていたが私は本当に死を意識した。私も異常だが、ここまで嫌がっている子供を無理矢理教室に入れた2人もはっきり言って異常だと思う。
教室では周りが気遣って優しくしてくれたが優しさが痛くて消えたかった。夕方まで授業を受けれたので父親はこのまま復学してくれると思って上機嫌だった。
私も父親に話を合わせて思ったより平気だったよ等と口から出まかせを言い父親の機嫌をとった。
でも私は違った。

「このまま復学させられてこの高校に通い続けたら、私は必ず自殺する。高校に殺される。」

そう強く思った私は、その夜母親に手紙を書いた。

「高校を退学させて欲しいです」

10月29日、私は生きる為に高校を退学した。
同時に今も続く鬱のトンネルに入った日でもある。
死にたい死にたい。死にたいとしか思えない。
高校生じゃなくなった自分は身分を証明する物もない。こんなカス死んだ方がいい。その日から半年、周りの目が怖くて引きこもりになった。
それでも、あの高校に行かなくて良い事だけが救いだった。

半年後の春、私は定時制高校に入学した。
定時制高校を受験する事は私が自分で選んだ。
中卒を雇ってくれる会社は少ないが、高卒を雇ってくれる会社は多い事に自分で気がついたからだ。
定時制高校では友達も出来て、楽しい毎日を送った。
本来の同級生とは1年遅れたが卒業して今は社会人として生きている。1年高校卒業が遅くても生きて卒業したのだからそれで良い。

鬱とはまだまだ戦っている。
鬱以外の持病もある。
カウンセリングだって受けているし、眠れぬ夜は薬を飲んでいる。
まだ死にたいと思う夜が来るし、朝を呪うことだってある。
でも、あの時辞めるという選択をしたからまだ私は生きているし、辛い事があってもどうやって乗り越えたかを思い出して乗り越えられる様になった。

両親からしたら本当にたまったもんじゃないと思うが、私は確かにあの時生きる為に高校を辞めたのだ。
私の中では高校を辞めた事は失敗ではない。制服代や入学費を出してくれた両親には申し訳ないがあの高校に入学したのが失敗だったのだ。すまん。

あの時高校を辞めていなかったら私は確実に狂い続けて両親や周りを恨みながら死んでいただろう。
あの時高校を辞めたからまだどうにか生きている。生きようとしている。

あの時高校を辞めて本当に良かった!


#あの選択をしたから

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