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「 」③

楽しげに、朗らかに、笑うように歌う人が、好きだった。

「・・・歌の上手な人」

「それだけではあまりに抽象的です。職業から選択していただく場合は、より具体的にお願いします」

「シンガーソングライター・・・でいいのかな。バンドのボーカルの人でもいいけど。メジャーな人じゃなくていいから出来ればギターが弾けて、楽しそうに歌う人」

「性別は?」

「どっちでもいい。80年代以降がいいかな・・・わたしが生まれる前にいなくなってる人はいや」

具体的に、と言われても難しい。
子どもの頃から人並みに音楽に触れてはいたけれど、まさか自分が人前で歌いたいと思う日がくるとは思わなかった。

「相変わらず物事を端的に伝えるのが苦手なようで・・・時間がかかりそうなので、生前のあなたの記録と併せて最も合致する候補をこちらで見繕います」

女が言うやいなや被っているヘッドギアから静かな重低音、一瞬の間を空けてカセットテープを巻き戻したときのような耳に残る音が続き、意識がそちらへと引っ張られていく。

「・・・それでは、いってらっしゃいませ」

女の言葉が合図になっているかのように、突き落とされる感覚に襲われる。
恐怖からきつく目蓋を閉じ浮遊感に半規管を狂わせながら喉の奥に感じる圧迫感は生きている時、絶叫マシンに乗った際に感じたそれと同一で、やはりこれはタチの悪い夢なんじゃないかと錯覚するけれど答え合わせをする術をわたしは持たない。
そんな益体もないことを頭の片隅でぼんやりと考えていると、何事も無かったかのような温かな光に吸い込まれていた。

閉じていた目蓋に光を感じ、恐る恐る開いてみたけれど目に入ってくるのは変わらぬ暗闇。
そんなわけのわからない感覚に戸惑っているわたしの耳に、微かにギターの音色が聞こえ始めた。
一音一音、丁寧に弾かれて澄んだ音が響いている。知らないメロディーだ。
イントロらしき小節を柔らかなストロークで弾ききると、ギターの音と同様の聞き覚えのある澄んだ声が耳をくすぐった。

どんなに見開いても暗闇だった視界が徐々に光を取り戻していく。一番初めに飛び込んできたのは譜面だった。
A4サイズの紙に印刷された譜面には、赤いボールペンでびっしりと書き込みがされていた。
譜面に並ぶコードや書き込まれている文字を目で追っていると、前触れなく視界を変えられる。次に映るのはギターネックとコードを押さえる左手だった。

綺麗に爪が切り揃えられたしなやかな指先が、指板の上をまるで踊るように位置を変えていく。
わたしは人差し指で6本の弦すべてを押さえるのが苦手だけれど、視界に入っている指は無駄に力むことなくそれをこなしている。
EmからAm、F、G・・・サビに向けてわたしのものとは別の所で気持ちが昂っていくのを感じ、リズムに合わせ自然と身体が揺れていく。
きっと今、この記録とわたしは同期している。

1曲歌い終わった彼女の心は、冬の晴れた日のようにどこまでも澄み渡っていた。

夕暮れ時、涼やかな風が吹き抜ける屋外でストリートライブをしているようで、足を止めてくれた観客にお礼を述べたりたわいもない会話を挟みつつ、そのあとも彼女の演奏は続く。
有名なアーティストの曲や自作の曲を織り交ぜ、彼女の世界は清涼さを増していった。増していく毎に、羨望と諦観の念にかられる。
彼女が一から積み重ねてきたものを肌で感じ、自分の浅はかさを悔やんだ。

彼女が歌うたび、言葉を交わすたびに生まれる世界と、わたしの中に生まれる世界が段々と乖離していく。
彼女の人生は彼女のもの。
わたしが乗っ取って邪魔をしていいものじゃない。

そんな思考を巡らせていると、徐々に視界にモヤがかかり始める。
また、カセットテープを巻き戻したときのような掠れた音が聞こえ始めたと思った時には落とされたときと同様の浮遊感に襲われていた。

「・・・おかえりなさい。如何でしたか?」

二度目でも慣れない圧迫感を堪えていると、この数時間の間で聞き馴染んだ女の声が耳朶を打った。

「・・・悪趣味」

心から、その一言に尽きると思った。
実際の時間の経過なんてわからないけれど、死んだ直後に生まれ変わるために次の人生を選べと言われて、自身のあさましさを自覚させられて、この女はきっとそれを理解したうえで感想を問うている。
生きていれば、五本の指に入るくらいの深いため息をついているんじゃないだろうか。

「こんなこと、あと4回もやらなくちゃいけないの?もうなんでもいいからそっちで適当に見繕ってよ」

「先程も説明しましたが、あなたが望む人生を選んでいただきたいのです。何度繰り返してもあなたが選ぶまでは終わりませんよ」

言葉の意味は理解できなくもないけれど、到底納得はできない。
わたしの頭が固いのだろうか。

「簡単なことです、望めば手に入るのですよ。愛した人間も、愛された人間も、あなたが望めばどんな人生でも」

「誰かの人生を奪うなんていやだって言ってるの!!意にそぐわないと意味がないって言うけどね、そもそも生きる意味なんてわたしにはないの!!」

「ではどうしてあの時、自ら命を絶たなかったのですか?」

「っ・・・!!」

砥石で丁寧に研がれた鋭利な言葉が心臓を貫く。

「生きる意味が無いと駄々をこねるのなら、何故?」

喉の奥に鉛でも流し込まれたかのように、口が開かない。

「10歳、18歳、26歳、35歳・・・」

「やめて・・・」

「次はどんな言い訳を重ねて本質から目をそらすのですか?」

「やめてって言ってるでしょ!!」

「死を望むのですか?生を望むのですか?」

淡々と、淡々と言葉を紡ぐ目の前の女に薄ら寒さを覚え、ぎゅうっと強く耳を塞ぐ。

「逃げた先があなたの望む世界ならばそれでも構わないとは思いますけどね」

「・・・わたし、強欲なの」

何かがぷつりと、音を立てた。

「自分でも気づいてなかったんだけど、凄く嫉妬深かった」

「人間らしくていいじゃないですか」

「・・・あいされたかった」

涙が溢れて、言葉が上擦る。

「愛されていましたよ」

「それはわたしの願望だよ」

「強情ですね・・・そんなに否定するなら、覗いてみてはいかがですか。覗いたからといって選ぶ必要は無いのですから、あなたの目で確かめたらいいんです」

能面のように最初から変わらぬ目の前の女が、笑った気がした。

「・・・そんなのあり?」

涙は溢れるのに、わたしも、笑った。

何かのきっかけのひとつにでもなれたなら嬉しいです\(*ˊᗜˋ*)/♡ヤホー