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Kさんがくれた橙色の朝

「娘がマスクをしていないので今日はちょっと…」

いつからかマスクは、感染対策済みを証明する押印のようになった。マスクをしていないことへの罪悪感、行動範囲を狭められる日々。

その日は保育園でクラスターが発生し休園、娘を連れてゴミ捨てを終え、近所を散歩していた。誰かに会うことを想定していなかったため、私はマスクをしていたが、娘にはさせていなかった。

そんな時に限って、人に会うものである。

同じ自治会のKさんに、「おうちへ遊びにおいで」と声をかけられたのだった。検査対象となった娘は陰性だったものの、やはり気が引ける。買い出しにも行かないといけないし、正直今は、人様に気を使う心の余裕もない。

何度か柔らかく断ったが、「大丈夫大丈夫、おもちゃ、いっぱいあるよ。ちょっとだけ、ね?」

断りきれず、娘も乗り気になってしまい、親切心に甘えることになった。お世辞にも綺麗とは言えない家だが、かえって気楽だった。棚や壁が埋まるほど飾られた家族写真にも、実家に帰ってきたような温かささえ感じる。

「息子、国立大学の大学院まで出たのに、出ていってしまったのよ」

「…素敵な写真ですね」。固い体から滑らかに返答が出てこない。一つ一つの言葉を何と無く受け流しながら、出されたふきの煮物を頂く。美味しい。テンポの良いコミュニケーションは不在だが、何となくの空気感を共有し、時間が流れてゆく。

「娘ちゃん、家では何してるの?いい子でしょう?おばちゃん、分かるよ。」

「お姉ちゃんと遊んでるの!」お菓子を頬張り、無邪気に笑う娘。我が家のようにくつろいでいる。時々子供が羨ましくなる。どんな空間であれ瞬時に溶け込むことができるから。

「お姉ちゃんと喧嘩ばっかりだよね」ため息混じりの私の言葉に、「喧嘩じゃないよ、そんなの大丈夫、大丈夫」

私のため息を感じとり、励ましてくれたのだろうか。

Kさんから発せられた言葉は、経験という根拠に支えられ、安定していた。

後ろめたい気持ちで来てしまったが、凝り固まった緊張が少しずつほぐれてゆく。


義務、責任、こうしなければ。ああしなければ

気付けばそういうものに肩が凝っていたのかもしれない。


自分自身で凝りをほぐすのは案外難しいものだ。

たまには相手に身を任せてみるのも、悪くはない。サイコロをふって出た目が答えの日が、あっても良い。


「お母さん、そろそろ帰ろっか」

意外にもさっぱりと、娘が帰るタイミングを作ってくれた。


玄関を出る景色は、入るときのそれとは違う。庭に丸く光るのは、橙色のきんかんの実。


まだ、朝の9時。今日が、始まる。

休園続きの疲れが体から離れ、風船のようにふわっと浮いたのが、見えた気がした

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