煙草
「いつから吸っとるん」
静かなトーンだった
でも、ぴいんと張った薄い膜のようなものの中に怒りと悲しみをはらんでいて、一瞬で破れそうな、そんな危険な静けさを帯びていた。
15年ほど前だろうか、何を思ったか私は、人生で初めて煙草というものに手を出した。
コンビニで店員に番号を告げた時、犯罪を犯してしまったような心地がしたのを憶えている。
手に取るとその細身で、柔らかい桃色をした可愛らしい装飾が背徳感を和らげるのだった。
その人が私の変化に気付くのに、長い時間を要さなかった。
「… 知ってたの?」
「鞄に入ってたのが見えた」
「 … 」
私がもしバッグにこの桃色の箱を認めても、きっとチョコレートくらいにしか思わないだろう。
いたずらが親に見つかってしまった5歳の幼児のように縮こまる
と同時に、洞穴から見つけ出してくれたという、危うい安堵感に包まれる
「お前、喘息持ちなんだろ」
座席数は少ないが清掃が行き届いて清潔な割烹。職場近くにある白い外壁のその店で、私達は何度か食事をしている。地元の魚を使ったお刺身や煮付けが美味しい。
そのいつもの店で、煙草について静かに切り出されたのだった。
何故この人は、私のすることにそんなに構うのだろう。
両親でさえ、私に対してとやかく言わないのに。
たった一度、冷静な父親から言葉と思考とを数日間奪っったのは、私が「結婚」という言葉を持ち帰った時だった。
あなただって吸っているでしょう?
とはその時、思わなかった
料理の味は憶えていないけれど、その夜を境に私は煙草をやめた。
いつからか、その人のワイシャツに染み付いた煙草の匂いを探すようになる
彼は初めて父親になってから8年後、いつの間にか煙草をやめていた。
私はその味はわからずじまいだったけれど、煙草はきっと、その人の人生の匂いを放つものなんだろう。
◇◆◇
内田百閒の「御馳走帖」で素敵な一文に出会って ✍️"
2023.2.11
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?