3月の、ハーモニカ
慌ただしい3月も、折り返しに差し掛かる土曜日の午前9時。5月並みの暖かさ。身の危険を感じる程に視界を侵す黄砂。
長女と私は、前日に皮膚科のかかりつけ医師から紹介された、形成外科クリニックへ。
ビビッドな黄緑色のソファーが3つ4つの待合室は、既にほぼ満席。受付にいる事務員の女性が、歌うように患者を応対していたのが印象的だった。
小学校3年生の長女はきょろきょろと落ち着かない様子で、トム・ソーヤの冒険を読んでいる。
私は何かを求めるように、グレイス・ペイリーの小説の文字を追っていた。
診察室1にいた医師は、娘と私の反応をゆっくりと確認しながら、穏やかに話した。数えきれない経験を抱える彼の言葉をゆっくりと追いかける、私と娘を置いてけぼりにすることなく。
娘の左耳付近にいつの間にかできたできものを、「仏様が住みついたんじゃない」と笑って暫くほうっておいた。
悪いものではなく緊急性はないが、やはり取り除いた方が良いとのことだった。
施術日はゆっくり考えることとして、その日はクリニックを後にした。
「優しい先生だったね」
「うん」
互いのぼんやりとした不安が共鳴し合う。
そいつが悪いものであろうがなかろうが、大きかろうが小さかろうが、この柔らかで小さな娘の顔にメスを入れる、そのこと自体に恐怖を抱く私は、母親として小さすぎやしないか …
私と娘の間には確かに空気が存在していて二人を隔てているのだけれど、この時は、二つの身体が一つに繋がっているように感じていた。
クリニックから出てすぐの横断歩道、信号を待っていると、向かいに腰かけている男性がチラッとこちらを見る。
顔をゆっくりともとの位置に戻すと、静かにハーモニカを吹き始めた。
顔を見合わせ、フフっと笑う、娘と私。
久しぶりに聞いたなぁ。生演奏。
いつの間にかハーモニカの音は、信号機から流れる「通りゃんせ」、その人工的で懐かしいメロディと重なり、青い空に消えていった。
帰宅後、状況を聞いた夫は私達の様子をみると
「びったれーじゃのう」と笑った。
あなたのはじめてが、私のはじめてだったり
わたしの三回目が、あなたのはじめてだったり
そんな風に、一つ屋根の下で、それぞれの人生が交錯してゆく
致命的でない小さな一つの出来事に、私達は涙を流し、喜劇とも名付けられないふとしたことに、ケラケラと笑い合う。
雨のように情報が降り注ぐ小さな画面の向こうでは、良くも悪くも映えない、そんな現実の些細な出来事に、私達は細胞を震わせ、身体をこわばらせ、時に歯を食いしばる。
お昼ごはんは、豚肉と海老、実家から送られた太い長ネギ入りの、焼きうどんにした。それから、みんな大好き、大きなおにぎり。
何も知らない次女は、「おにぎりパーティーだね!」と言うと、完食できるはずもない、自分のための大きなおにぎりを3つ、一生懸命に作っていた。
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