見出し画像

お弁当を作ることについて

最近、自分のためのお弁当作りにはまっている。


職場でお弁当を注文することもできるし、自分のお昼ごはんなんて、正直どうでも良いとさえ思っていた。


少し、心に余裕ができたのかもしれない。


夫や、子供に持たせるお弁当作りとは少し心持ちが違う。


家族のために作るお弁当は、お昼に向けて羽ばたかせると、夕方、「ごちそうさま」の声と共に帰宅する。


お昼にどんな風に食べられているかわからないまま、パッと、空っぽのお弁当箱に姿を変えて。


一方自分のために作ったお弁当は、当たり前なのだけれど、ランチタイムがご対面の時間だ。


再会…と言う方が正しいかもしれないが。


お昼休みに蓋を開けると、朝5時の少しボーッとした脳味噌に指示されて、指先に集中して隙間を埋めるようにつめたおかず達が、ちゃんといい子してこちらを見つめている。



「あ、今日も、お疲れ」



何だかそんな声が聞こえてくるようだ。
等身大の、自分から自分への、ざっくばらんなご挨拶。



独身の頃、母が作ってくれた素朴な、でも贈り物のような温かなお弁当とは少し違う不思議さがある。


数時間前の過去の自分と現在の自分が、お弁当を舞台にばったり出会う。


そんなこんなで、よくわからないけれど、この不思議な感覚がやみつきになって、はまってしまったのである。


SNSで踊る、ドレッシーなお弁当なぞ私には作れない。


でも、自分に対するカジュアルな労りの気持ちを、これからもこの小さな箱につめこもうと思う。



(2022.11.6 🍱)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?