見出し画像

暖炉のような曲を演奏した一週間

日曜の夕方から昨日(火曜)の午前にかけて「蜜蜂と遠雷」を読了。相当なスピードで読んだが、久しぶりに本に浸った感覚がする。
私は本に影響されやすいタイプで、本に浸っている間は本の世界が現実に滲み出てくる。
その世界観で見えているうちに、今年私の耳に聞こえていた音楽はどんなだっただろうか、北海道東川町で過ごした一週間はどんな音楽だっただろうかと想像してみた。


今年一年、特に2月以降は不協和音が大音量で鳴り響いていた。といっても新しい曲ではない。今まで何度も聞いてきていて美しいとなんとなく信じていた曲が、1つあるいは複数の音が全体に加わったことで、統一されていたバランスがひっくり返された。あるいはそもそもバランスなどとれていなくて、その錯覚が突如取り払われたという言い方もできる。


不協和音がいろんなところで同時に聞こえてきて、全部が大迫力で迫ってくるから無視ができない。無視することが怖い。もしここで一小節でも聞き逃したら、曲を見失ってしまうのではないか。また醜いものを美しいと錯覚してしまうのではないか。


聞くに堪えないような曲で、耳をふさいだ方が断然楽。けれど恐怖心から必死で聞き続ける。
いつしか聞くことに全集中するようになり、自分自身で演奏することをやめてしまった。演奏するエネルギー等残っていなかった。傍目から見たら音を発しているように見えたこともあったかもしれない。だがそれは必要に迫られて絞り出したもので、自分自身の音ではなかった。


私は長い間演奏していない。


聞くに徹していたというのが最大要因だが、何をどの楽器で演奏したらいいのか分からなくなったというのもある。今まで美しさを錯覚していたのであれば、私が知っている曲ははたして本当に綺麗なのか。聞いている人を疲弊させ、不快感を与えるだけなのではないか。楽器だって何が自分にあっているかなんてわかっていないのではないか。


そんなこんなで11月8日 – 11月15日でCompath の週末フォルケホイスコーレに参加。まだ譜面にできていないが、そこで即興演奏されていたのは暖炉のような曲。外が凍えるような寒さの中、皆で薪ストーブの周りに集まり、温まりながら口ずさんでいるような曲。とても陽気な曲だけれどキャンプファイアのように高々と燃え上がってはいなくて、手のひらは暖かいけど隣の人と身を寄せ合っていないとちょっと寒い、くらい。それぞれがその前まで程度は異なるけど凍えていたせいで、暖炉の火の優しい温もりに涙が出てくるような。


涙の理由は様々。
私の涙は安堵の涙であったような気がする。


久しぶりに心地よいと感じる曲を聞けたこと。心地よいと本心から感じ、美しいと確信できたこと。どうやら自分も知らず知らずのうちに音を出していたこと。まだ自分の音の出し方を忘れていなかったこと。そして純粋に演奏を楽しめたこと、またやりたいと思えたこと。


世界中、大音量でかき鳴らされている全ての不協和音を聞かなければならない、聞き逃したら終わり、という恐怖ですっかり体の芯まで凍てついていた自分。冷え切っていたせいで自分が凍っていることにも気づいていない私が、徐々に溶けていったような感覚。


まだ全ては溶けていないし、永久凍土のように思える部分もある。恐怖だってまだまだ残っている。でも凍っている部分があることに気づけるくらいには、温まった。
皆がどんな音を出していたのかなんて、ほぼ覚えていない。自分がなんの曲を演奏していて、どんな楽器を持っていたのかさえ分からない。でも楽しかったのは覚えている。


一週間の音楽はこんな感じ。


これからやりたいことはいくつかある。
まずは、この週末フォルケの即興演奏を覚えている部分だけでいいから、譜面にすること。私はどんな音を出して、どんな音を聞いていたのかを振り返る。そうすればその演奏体験から私が何に気づき、何を得たのかを言語化できるような気がする。そしてそのうち譜面が完成(勿論再現は無理だからオリジナルは入る)したら、再度、今度は違うメンバーで演奏できるかもしれない。


二つ目は、曲を演奏すること。相変わらず不協和音が飛び交っているのは変わらないが、それに委縮するのではなく、自分の音を発すること。闇雲に演奏しては不協和音に音を重ねるだけだが、ガンガン迫ってくる曲に耳を澄まして、良い音を鳴らせば、たちまち曲の雰囲気を変えられるかもしれない。音を出すためには聞く必要があり、聞くためには自分の音を出して、自分の音を知っている必要がある。その両方で演奏は成立する。演奏をしたい。


そして三つ目は自分の楽器を見つけること。なんとなく気づいたのだが、私は自分が出したい音のイメージはついているが、それをどの楽器で表現すればいいのかがそもそもわかっていない。でも一週間で弦楽器は目を向けたことなかったけど興味ある、木管楽器はピンと来ないかも、となんとなく分かってきた。後はその時々演奏したい曲にあわせて楽器を選び、一番しっくりくるものを探したい。時間は要するかもしれないが、余裕がない中急いで掴んだ楽器よりは、ずっと付き合えるような楽器がほしい。


今演奏してみたい曲がある。
聞いてみたい曲がある。


演奏は楽しいことを思い出せた、気づいた。そんな一週間だった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?