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私的・戦略読書月報 -3月-

3月に私が読んだ本は、短編集の中のひとつのお話。それだけ。

3月の報告をするには遅すぎるし、報告できるような成果も出ていない。だけど、そんな3月でも残しておきたい、本にまつわる出来事があったので、タイトルから外れても、3月の記録は残そうと思う。

まずは、背景。

学校のみならず、学童も閉鎖され、保育園も登園自粛要請がかかる今、ふり返ってみたら、3月は結構ましだったんじゃないか、とさえ思えてくるけれど、その当時は実に大変だった。

リモート勤務は2月からだったので、仕事自体は変わらずやるつもりで、ちょっと重めのタスクを引き受けていた。そこに夫の在宅勤務(大勢に影響はないものの、我が家で一番快適なデスク環境を譲った)、長男の休校(これが大打撃)と大きな変化が重なり、子どもの学習フォロー、昼食準備、学童への送迎に時間が取られる日々。引き受けた仕事をやり遂げるだけで精一杯で、とても月4冊も本が読めるような状態ではなかった。

そんな中、それでも開いた本があった。アート小説の名手、原田マハさんの「モダン」だ。

ニューヨーク近代美術館、通称MoMA。この本の舞台になっている、世界的に超有名なこの美術館には、2年ほど前に訪れた経験があった。3月に入って何度か、MoMA訪問の思い出がふとよぎることがあり、引き寄せられるように手が伸びた。原田マハさんの代表作、「楽園のカンヴァス」を手にとった時、一気に引き込まれて読み切った記憶も後押しした。

本は買ったものの、家事すらままならないレベルの多忙さで、開く機会がまったくない。床がホコリだらけ、洗濯物を片付けなきゃ、今日の夕ごはんどうしよう… そんな目先の物事に気を取られて、2週間くらい放置していたと思う。

そんな3月終わり頃、「もうやだ!」と思って、すべてを投げ出して部屋にこもり、1編を読み切った。

30分にも満たない時間だったと思うけど、物語の世界がカラカラの心に染み込むようで、本を読むという行為だけで涙が出そうだった。そして、入り込んだ物語の終わりには、なんだかわからない涙がいっぱい出た。

「モダン」は、短編集だ。私が読んだのは、その中の最初のお話。いち読者の勝手な思い込みにすぎないけれど、今、このタイミングで読むようにと引っ張ってくれたのではないかと思うような、そんなお話だった。ちなみに、主人公はMoMAのスタッフだけれど、カウンターパートとなる美術館は、東日本大震災直後の福島にある。突然突きつけられた非日常の中で生きる人が登場するストーリー。めぐり合わせだと思ってしまうじゃないか。

とにかく、たった1編、たった30分の読書でも、その時の私にはこの1ヶ月の間に、この時間があってよかったと思えるものだった。戦略読書とか大層っぽいことを言ってるのが馬鹿らしくなったし、この30分の感覚を忘れたくないと思った。

もちろん、安定した日常がある中であれば、自分を成長させるために本を読むことは必要だと思う。玉石混交な本の大海から、自分に必要なものを探して、うまいこと利用していこうよ、くらいの気持ちを持ったっていいと思う。

でも、日常に何かしらの不安を抱えている時。そんな時は、本との付き合い方を変えたらいいんだと思う。少なくとも私にとっては、救いであり、心の安定剤であり、生きるための力を与えてくれる存在に変わった。

4月に入っても、まだ本は全く読めていない。何なら、「モダン」もまだ、1編読み終わった状態で止まっている。でも、それでいい。そこにその本があるだけで、「しんどくなったら、読もう」と思えるし、そう思っているうちは、まだまだ私は元気だ。

今の暮らしは、おそらくまだまだ続くだろう。学ぶ意欲を止めるつもりはさらさらないけれど、できないことも受け入れて生きていくしかないと悟りつつある。今は命が第一で、家族が第一で、暮らしが第一だ。私はそのために、できる限りで働くし、それ以外の時間は第一優先事項のために費やす。学びや自己研鑽が私の心を追い詰めるなら、一旦止めて、生活と心の平和を優先する。それでも、どうしても辛くなったら、きっと本の方から読んでくれると思うから。



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