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アメリカの大学へ進学した息子の記録*誰かの参考になれば*


私の子育て記

こんにちは、私のベビちゃん

2006年に2,500gで生まれた赤ちゃんが18歳になりました。
授乳とオムツ替え、入浴、爪切り・・・、寝付くことさえ私の手を煩わさなければできなかった赤ちゃんが、半年もすると寝返りができるようになり、言葉は話せなくても泣き声や表情で意思表示ができるようになり、1歳半ごろには歩けるようになりました。

デイケア、幼稚園、小学校と進むにつれてお友達が増えていき、小さな社会生活の中で立ち居振る舞い方、他者との関わり方などを学び、自分が思うように物事が進まず、そのイライラを私にぶつけて来ることも結構多かった子供でした。

safe place

私が一番辛かったのは、本人が思い描いていたような結果が出せず、自分自身に失望して泣いている姿を見ることでした。
私にもそんな体験が何度かありました。
精いっぱい準備をしたのに、出来が悪かったこと(試験の時に起きがちだった)、得意で自信があったことが他の人はもっと上手くやれて賞賛を送る側になってしまったこと(ピアノ演奏、作文コンクールなど)。

まだ小学2、3年生の男の子がどこにもぶつけられない悔しさに泣いているのを見ると、私はそんな姿を母親に見せてくれる彼に感謝し、私の肩で泣き止むまで彼の失望を受け止めました。

男の子だから泣くもんじゃない、とか、自分の怒りを人にぶつけてはいけないとか、そう言うことは学校で教わる建前の話。
家の中で両親にまで我慢することはない、と私は思っていました。
家は彼にとって安らげる場所であるべき。
私に話したいことがあればリビングルームに来たらいいし、ひとりで静かに気持ちを落ち着けたいなら部屋に閉じこもるも良し。
カーテンを閉めて、ドアも閉めてベッドに潜り込んで気が済むまで部屋から出ない、それで気持ちがさっぱりするならそんな時間も必要です。

彼が部屋から出てきたら、何があったのかなどという野暮なことは聞かず、お腹が空いているかどうかだけを聞くのが私の役目。
部屋を出るまでに自分の感情をコントロールできた息子を尊重します。

子育てに正解無し、よって、不正解も無し

彼には中学生、高校生の頃の反抗期はありませんでした。
いや、私がそう思っていただけで、息子に聞くと「あったよ。無愛想にしていたとき、あったでしょ?」と言われました。
いつだったのでしょうか? 全く思い当たりません。
私がきちんと息子を見ていなかったに違いありません。
気づかない鈍感力も大切だと信じたいです。

ただ、私は彼が泣いたり怒ったりしている時に、彼から必要とされればいつでもそれを受け止めてきました。
上にも書きましたが、彼が幼い頃に物事が思うように進まず、イライラして泣いている時にはいつまでも彼の気が落ち着くまで私の腕の中で抱いていました。
どんなに泣いても私の腕の中。
誰にも見られない場所です。

小学校も高学年になると、何が原因かわかりませんが怒りに顔をひきつらせて下校してくるときもありました。
そんな時は、彼を見守るだけです。
部屋に引きこもっても、出てくるまで放っておきます。
何か私に声をかけて欲しかったときもあったかもしれませんが、今はそのときではない、というのは母としてなんとなくわかるものです。

大事なのは距離。
自立しようと反抗期が起こる、とするならば、見て見ぬふりは親にとっての大切なスキルだと思います。
失敗する前に手を貸すのではなく、失敗してひとりで立ち上がれず、手を貸して欲しい、と求められたときに手を差しのべる。
息子が中学・高校生の頃は、私はそうやっていました。

子育てに正解は無いから、不正解もまた無い。
これは私の座右の銘です。
この名言は、タレントの野沢直子さんの言葉です。

悪いところは見ない努力

息子の学校で行われた「保護者のためのworkshop」で、親は子供の悪いところ、できないところに目がいく、と教わりました。
そして、それが改善され、出来なかったことが出来るようになると、そこはもう見えなくなりまた次のできないところに目がいく・・・。

私は「なるほど!確かにそうだ」と大いに納得した後、息子の出来ること、良いところにだけ目を向けるようにしました。
これはおすすめです!
私自身のために良かったです。

悪いところ、できないところに注目してしまうと、「なぜ?なぜ出来ない?」と私自身のストレスになりますが、そこは見ないようにして出来ているところや彼の良い部分を見ると、私の精神衛生上、とても良いものです。

インド人の教え

インドでは、「人は誰にも迷惑をかけずに生きるのは不可能。迷惑をかけられても、それを許せる人になれ」と教えられて育つそうです。

これも私にとって大きな気づきでした。逆の発想というか・・・。

国が変わればルールや習慣も違うもの。
できればいろいろな国に行って、違う文化や習慣を体験するのが自分の幅を広げるのにいいんでしょうけど、こうも円安だとね。

備忘録として

タイトルの「母が書く、アメリカの大学へ進学した息子の記録」は、私の子育てのひと区切りとして書き残しておこうと思います。

これから以降のこのシリーズは、プライベートな内容や具体的なことなどを含むので有料記事にします。

備忘録であると同時に、アメリカの大学に進学するために私たちが歩んだプロセスも書いていきます。
そんな内容にご興味がある方にはぜひ読んでもらいたいと思います。

どうぞお付き合いください。




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