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「標的」になった朝日新聞と植村さん トラウマの慰安婦問題/(「どこにいても、私は私らしく」#32)

今年の釜山国際映画祭(2021年10月6日~15日)では西嶋真司監督の『標的』がワールドプレミアとして上映された。慰安婦問題に関する報道で、「標的」となってバッシングを受けた元朝日新聞記者の植村隆さんや、裁判などを通して植村さんと共闘した弁護士やジャーナリストらを描いたドキュメンタリー映画だ。釜山映画祭で上映された後、西嶋真司監督は韓国の「アン・ジョンピル自由言論賞」を受賞した。軍事独裁政権に果敢に立ち向かった元東亜日報記者のアン・ジョンピル氏を讃え、1987年に設けられた賞で、日本人の受賞は初めてという。

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私は植村さんの講演を聴いたり、植村さんの著書『真実  私は「捏造記者」ではない』(岩波書店)を読んだりしていたので映画に出てくる内容はほとんど知っていることではあった。それなのに、映画の途中から涙が止まらなくなって、マスクの中が洪水のようになってしまった。自分でもなんでそんなに泣いているのか分からず驚いたが、よく考えてみると、自分がいかにこの出来事で傷ついていたのかを初めて自覚したからだった。

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1991年に元慰安婦であることを証言した故・金学順(キム・ハクスン)さんの記事を書いた植村さんは「捏造記者」の汚名を着せられ、激しいバッシングの対象となった。朝日新聞は2014年に慰安婦問題に関する一部の記事を虚偽と認め、取り消したが、それは植村さんの記事ではなかった。植村さんの記事に関しては「慰安婦」と「女子挺身隊」を誤用したことを認めたが、1991年当時韓国では「慰安婦」の意味で「女子挺身隊」という言葉を使っており、朝日新聞以外の日本のいくつかのメディアでも使っていた。ポイントは、だからといって金学順さんが慰安婦でなかったわけではないということだ。それなのに、慰安婦は存在しなかったのに朝日新聞がでっち上げたかのような勘違いをする人も多く、それが植村さんの記事がきっかけだったという誤解が広まった。慰安婦問題は日本のメディアの間でますますタブー化していった。

社内にいて、委縮した雰囲気の中、どうしたらいいのか分からない無力感を感じた。私は文化部記者だったので直接慰安婦問題に関わる取材をすることはなかったが、韓国関連の取材というだけでも気が引けるような雰囲気だった。すでに退社を考え始めていた時期ではあったが、決心を固めるきっかけの一つだった。朝日新聞の中にいながら韓国関連の報道に携わる怖さを感じた。それは自分が攻撃されることよりも、自分のせいで朝日新聞が攻撃されるかもしれない怖さだった。

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植村さんは2014年、朝日新聞を早期退職している。西嶋監督も『標的』を作るうえで長年所属した放送局を退社した。当初はテレビのドキュメンタリー番組を目指して撮り始めたが、企画がなかなか通らなかったという。西嶋監督は「会社に残るとすればこの番組制作はあきらめなければいけなかった。でも、このテーマは今作っておかないといけないと思った」と話す。1981年から勤めた福岡の放送局、RKB毎日放送を2016年に退社し、ドキュメンタリー映画として発表することにした。

西嶋監督も植村さんが金学順さんの記事を書いた1991年、特派員としてソウルにいた。「私も植村さんが書いたような内容を報じたし、他紙、他局も同様だった。なぜ時を経て植村さんだけがバッシングの対象になるのか」
なぜ朝日新聞で、なぜ植村さんなのかを考えてみれば、象徴的な存在だからだと思う。朝日新聞は比較的他社よりも慰安婦問題を積極的に報じてきた。金学順さんは初めて元慰安婦であることを名乗り出て国際的に慰安婦問題が注目されるきっかけを作った。それを報じた植村さん。当時金学順さんの証言を報じた複数のメディアの複数の記者を攻撃すれば、連帯して対抗したと思うが、1社、1人に的を絞った攻撃だったということを『標的』を見ながら改めて「おかしい」と思った。

西嶋監督はソウル特派員当時は植村さんと面識がなく、バッシングの後に初めて会ったという。初対面の印象は「強い人だな」だったと言う。「あれだけのバッシングを受けながらも笑顔の植村さん。強い性格の人だと思いました」。私もまったく同じだった。私が植村さんに初めて会ったのは朝日新聞退社後、西嶋監督の前作ドキュメンタリー映画『抗い 記録作家 林えいだい』が韓国のEBS国際ドキュメンタリー映画祭で上映された2017年の夏だ。植村さんはバッシングの後、韓国のカトリック大学の招聘教授として就任し、韓国に滞在していた。バッシングの影響で、教授として就任が内定していた神戸松蔭女子大学は契約取り消しとなり、非常勤講師として勤めていた北星学園大学にも嫌がらせの電話や手紙が寄せられ、辞任した。一連の出来事で気が滅入っているだろうと勝手に予想していた私は、初対面でニコニコ明るい笑顔を見せながら大きな声でしゃべる植村さんを見てホッとした。多くの弁護士やジャーナリスト、日韓の市民が植村さんを応援したことも大きかったと思う。

そんな植村さんも、娘がバッシングの標的となったことに関しては耐えがたかったようだ。顔写真がインターネット上で公開され、誹謗中傷を受けた。『標的』には植村さんの娘も登場した。植村さん自身は当初娘が映画に出ることに慎重だったようだが、それもよく分かる。若いかわいらしい女の子がスクリーンに現れた時、記事を書いた記者でもなくその娘を攻撃する醜さに涙があふれた。西嶋監督は「彼女は凛としたとてもいい表情で、『私のような被害者をもう出したくない』と語ってくれた。この声をなんとか映画を通して多くの人に聞いてほしいと思った」と言う。

『標的』は今後、日本の劇場で公開される見込みという。「アン・ジョンピル自由言論賞」受賞で、韓国でも公開に向けて動くのではと期待している。この賞の名前からも分かるように、これは慰安婦問題に関する映画というよりも、言論の自由に関する映画だ。慰安婦問題に関していかに日本で言論の自由が脅かされてきたのか、日韓の多くの人に見てほしいと思う。

(写真はすべて西嶋真司監督提供)

ドキュメンタリー映画『標的』
監督:西嶋真司
2021年製作/99分/日本/
オフィシャルサイト https://target2021.jimdofree.com/

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成川彩(なりかわ・あや)
韓国在住映画ライター。ソウルの東国大学映画映像学科修士課程修了。2008~2017年、朝日新聞記者として文化を中心に取材。現在、韓国の中央日報や朝日新聞GLOBEをはじめ、日韓の様々なメディアで執筆。KBS WORLD Radioの日本語番組「玄海灘に立つ虹」レギュラー出演中。

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