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「冬のソナタ」から「パラサイト」へ/(「どこにいても、私は私らしく」#36)

2020年1月、ポン・ジュノ監督の映画「パラサイト 半地下の家族」の日本での公開に合わせ、福岡を訪れた。「パラサイト」上映後の劇場トークの依頼を受けたためだ。韓国から福岡への飛行機代は国内と変わらないくらい安いのでそれほど負担ではなかったが、ありがたい知人の配慮で、韓国観光公社福岡支社と西南学院大学でも講演をすることになった。2017年に朝日新聞を退社して韓国へ留学するまではほとんど福岡と縁がなかったが、退社後初めて連載を始めたのが朝日新聞福岡版だったのがきっかけで、韓国から福岡へ行く機会が増えた。

韓国観光公社福岡支社での韓国映画にまつわる講演

「パラサイト」は日本における韓国映画の興行記録を塗り替えた。2005年に日本で公開されたチョン・ウソン、ソン・イェジン主演の「私の頭の中の消しゴム」がそれまでの1位だったが、15年ぶりに更新した。その後コロナが広まって映画館の観客数が減ったのは残念だが、「パラサイト」以降、日本で韓国映画への関心が高まったのは間違いない。

「パラサイト」に関しては、広報に相当力が入っているのを感じた。日本で公開される何ヶ月も前から「メディア向けの試写会を開くが、映画専門の記者だけでなく、韓国社会について詳しい記者を紹介してほしい」という連絡を受けた。広報の甲斐あって公開前からそれなりに話題にはなっていたが、何よりアカデミー賞授賞式が近づく中で受賞有力と報じられ、作品賞を含む四冠を果たしたことで観客動員に弾みがついた。日本は米国の影響を受けやすい国だと改めて思った。

私は朝日新聞で主に文化を担当したが、映画に関してはメインでなく補助的な担当だった。韓国映画の日本公開時に韓国から監督や俳優が来日すると、通訳なしに質問できるという理由でメイン担当が私にインタビューの機会を譲ってくれることが多かった。ポン・ジュノ監督には「スノーピアサー」が2014年に日本で公開される時にインタビューした。私の認識ではすでに世界的に注目を浴びる監督だったが、デスクには「ポン・ジュノって誰だっけ? 俳優は来なかったの?」と言われた。一般紙の記者として韓国映画について深く掘り下げることは難しいと実感した。

退社して韓国で映画を学ぼうとソウルの東国大学映画映像学科の修士課程に留学した。ところが、母が周りに「娘が韓国映画にはまって韓国に留学した」と話すと、「ああ、『冬のソナタ』?」という反応が返ってくることが多かったという。韓流ブームといえば、その主役は韓国ドラマとK-POPで、韓国映画は日本では盛り上がりに欠けた。

それが、「パラサイト」のおかげで、多くの映画ファンが韓国映画に注目するようになった。変化の兆しは数年前からあった。「タクシー運転手 約束は海を越えて」や「1987、ある闘いの真実」などを見たという男性の映画ファンから「韓国映画がおもしろい」と聞くようになった。「パラサイト」を見て「おもしろかった!」と興奮して私に連絡してくるのも大抵は男性だった。「冬のソナタ」に始まる韓流ブームのファン層が女性中心というイメージがあってか、韓国映画に目を向けない男性が多かったようだ。

韓国映画ファンとしては、広報の仕方にもがっかりすることが多かった。主演でなくてもK-POPアイドルが出演しているとそのアイドルをポスターの中心に持ってきたり、タイトルから韓国色を消してしまったり。例えば韓国で観客数1100万人を超える大ヒットとなった映画「新感染 ファイナル・エクスプレス」の韓国タイトルは「釜山行き」だった。「新感染」と最初に聞いた時は違う映画だと思った。

東方神起や少女時代、KARAなどK-POPが人気を集めた第2次韓流ブームは2012年、李明博大統領(当時)が竹島に上陸し、日韓関係が悪化した頃から冷え込み、特に地上波でK-POPアーティストや韓国ドラマがほとんど見られなくなった。この頃、韓国映画の広報担当者たちは「地上波で韓国映画を全然取り上げてくれなくなった」とこぼしていた。タイトルから韓国色を消すようになったのもこういうことの影響のように思う。

だからこそ、「パラサイト」のおかげで日本で韓国映画への視線が変わったのはとてもうれしい。それにしても福岡での反応は予想よりずっと熱かった。まだ公開から間もないのに「3回見た」という観客もいた。劇場トークの後、私に声をかけて帰る人が多く、自身の感想を語ったり、気になる点を質問するなど、その熱心さに驚いた。東京や大阪でこんなに盛り上がるとは思えない。

「パラサイト」劇場トークが行われた福岡のKBCシネマ

福岡は地理的に韓国に近く、特に釜山には船で行き来する人も多い。逆に韓国から福岡を訪れる人も多く、2019年夏ごろまでは博多駅界隈ではあちこちから韓国語が聞こえてきた。2019年夏には日本政府による輸出規制が発表され、それに対する韓国での日本製品不買運動が広まるとともに日本への旅行も激減した。

福岡では韓国映画の撮影に関わったこともある。2018年にチャン・リュル監督が「福岡」を撮影した時だ。桜満開の春だった。私は取材を兼ねて監督や俳優、スタッフの食事を準備する炊き出しボランティアに参加した。パク・ソダムやユン・ジェムンがすぐ目の前でカレーを食べていた。それを見守るだけで幸せな気持ちだったが、ユン・ジェムンから「韓国人?」と聞かれ、「日本人だけども韓国から来た」と答えて目を丸くされたのもいい思い出だ。

チャン・リュル監督はアジアフォーカス・福岡国際映画祭に何度も招待されるうちに福岡が気に入り、福岡で「福岡」を撮ることになった。私は「福岡」が2019年11月のソウル独立映画祭開幕作として上映された時に初めて見たが、たった一度炊き出しに参加しただけでエンディングクレジットに名前が入っていてびっくりした。

日本と韓国、日本人と韓国人の境界が曖昧に感じられる映画だった。福岡の人の中には「距離だけでなく心理的にも東京より釜山の方が近く感じる」と言う人もいるほどだ。国境も国籍も人が作ったもので、そもそも曖昧なものかもしれない。

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成川彩(なりかわ・あや)
韓国在住映画ライター。ソウルの東国大学映画映像学科修士課程修了。2008~2017年、朝日新聞記者として文化を中心に取材。現在、韓国の中央日報や朝日新聞GLOBEをはじめ、日韓の様々なメディアで執筆。KBS WORLD Radioの日本語番組「玄海灘に立つ虹」レギュラー出演中。

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