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#MeTooは広まらないのに「82年生まれ、キム・ジヨン」は売れる日本 (「どこにいても、私は私らしく」#6)

2018年、韓国で#MeToo運動が盛り上がっていた頃、「日本はどう?」とよく聞かれたが、韓国に比べると日本は静かだった。

そんな日本で最も目立ったのは、フリージャーナリストの伊藤詩織さんのケースだろう。2019年12月、伊藤さんが民事訴訟で勝訴したニュースは大きな反響を生んだ。伊藤さんが元TBS記者の山口敬之氏から性暴力を受けたとして損害賠償を求めた裁判で、東京地方裁判所は山口氏に330万円の賠償を命じる判決を下した。同じ事件をめぐって、刑事では不起訴になっていた。

「日本ではなぜ#MeTooが広まらないのか」という疑問を持って、私自身、伊藤さんの事件の行方を見守っていた。伊藤さんが自身の被害について書いた『Black Box』も読んだ。その被害の内容と後遺症は、読んでいるだけでもつらかった。これだけ証拠のそろった事件ですら不起訴になるとすれば、被害を訴えても損だと考えるのも当然だ。「日本は本当に法治国家なのか?」と疑いたくなるぐらいだ。

特に理解し難いのは、捜査がこれから本格的に進みそうな局面で、急に止まってしまったことだ。その背景には、山口氏が安倍晋三首相(当時)と親しい関係、ということもあるのかもしれない。山口氏は安倍首相について書いた『総理』という著書もあるほどだ。「安倍政権が刑事処分に介入したのでは」という指摘もあった。

民事訴訟の判決が出るまで、大手メディアはこの事件を積極的に取り上げてこなかった。韓国で#MeTooが広まるきっかけとなったソ・ジヒョン検事が上司のセクハラを暴露した時、メディアが一斉に報じ、世論がソ・ジヒョン検事を後押ししたのとは大違いだ。

私自身、朝日新聞にいた当時、性暴力に関する記事を書いたが掲載されず、納得がいかなかったことがある。父から幼い時に性暴力を受けていたという女性が、その経験を本に書いて出版する時だった。私はその女性には以前に別の取材で会っていたこともあり、本の出版について連絡を受け、インタビューさせてもらった。

「性暴力を受けた」と断定的に書くことは、判決が出た事件でなければ難しい面があるのは分かる。ただ、「性暴力を受けた経験を本に書いた」という記事を書くのは可能なはずだ。それは、一定の調査結果が出る前に「ソ・ジヒョン検事がセクハラを受けた」と断定的に書くことはできなくても、「ソ・ジヒョン検事が自身が受けたセクハラについて暴露した」と書くことが可能なのと似ていると思う。デスクの許可を得たうえで出張してインタビューし、記事を書いたのに、同じデスクが「本当に父親が性暴力を振るったのか分からない」と言い出し、載せてもらえなかった。確認しようにも、その父親はすでに他界していた。

性的被害について話すことは、本人にとってとても勇気が要ることで、つらいことだと思う。インタビューの間も、そう感じた。以前の別件の取材の時とは明らかに違う情緒不安定な様子だった。そんなつらい思いを強いてまで聞いた話が、載らなかった。深く傷つけてしまったと思う。

伊藤さんも『Black Box』の中で書いていた。結局ニュースとして報道する価値があるかどうかを決めるのはメディアで、そこには様々な事情があるとは思うが、捜査機関に続いてメディアにも疎外された気分だった、と。

一方、2018年12月、韓国の小説『82年生まれ、キム・ジヨン』が日本で翻訳出版されると、瞬く間にベストセラーとなり、大きな反響を呼んだ。さらに今月(2020年10月)は映画「82年生まれ、キム・ジヨン」が日本で公開され、再び注目が高まっている。

韓国の友人たちは「日本ではなんで#MeTooは広まらないのに『82年生まれ、キム・ジヨン』は売れるの?」と首をかしげる。性暴力やセクハラが少ないわけでもなく、男女の格差という点でも問題はあるが、日本ではそれについて声を上げる人は少ない。黙って我慢している人が多いのだろう。

実際、世界経済フォーラムが発表した2019年の「ジェンダー・ギャップ指数」は調査対象国153ヶ国のうち日本は121位で、先進国の中では最下位レベルだった。日本は2018年の110位から121位に順位が落ちた一方、韓国は115位から108位に上がり、逆転した。この指数は、経済、政治、教育、健康などの分野で男女の格差を調査したものだ。毎年報じられるニュースだが、今回日本が過去最低だったのは衝撃的だった。

私はキム・ジヨンと同じ1982年生まれだ。ただ、私自身は学校や家庭で男女の格差でジヨンほど理不尽な経験をした記憶はあまりない。「共感した」という日本の女性は、私よりも10歳ほど年齢が上の世代が多いようだ。

日本では私を含め、同世代の話を聞いても、学校や家庭よりも、社会に出てからの男女格差やセクハラに悩むケースが多いようだ。韓国では2018年に#MeTooが広まって以来、セクハラは目に見えて減った。仕事関係の食事の席で、不快な発言をする人は減ったし、もしあったとしても、「それ、#MeTooにひっかかりますよ」と、冗談めかしてでも指摘する人が出てきた。日本も少しずつはましになってきているようだが、韓国ほどの変化は感じられない。

ただ、私は映画「82年生まれ、キム・ジヨン」を見た時に、家庭での男女差は日本と韓国で少し違うように感じた。特に夫の実家との関係だ。ジヨンは女性として経験してきた様々なストレスに耐え切れず、他人に憑依する症状が出始める。映画の中で印象的だったのは、旧正月、夫の実家での出来事だった。朝早くから旧正月のお供えや食事の準備をして疲れきった様子のジヨン。夫の家族が座って団らんしているなか、一人台所に立っている。様子を見てそろそろジヨンの実家へ移動しようとしたところ、さらに夫の姉一家がやってきてタイミングを逃してしまう。この時、ジヨンは自身の母のしゃべり方で、自分の娘が来たなら、ジヨンも実家に送ってやれと言う。憑依の症状が出た瞬間だ。

韓国人男性と結婚した日本人の友達の多くが、秋夕(旧盆)や旧正月のお供えや食事の準備が大変だと嘆く。体力的にも精神的にも負担が大きいようで、自宅に戻ると1週間くらい寝込む人もいる。

映画の中で、ジヨンが最もつらそうに見えるのは、姑との電話の場面だった。夫が育児休暇を取って、ジヨンが働けるようになったことを話すと、姑は息子が働けずにジヨンが働くなんてあり得ないと怒り出す。子どもを妊娠し、産むのは女性にしかできないが、育児は男性でもできる。ジヨンが出産と育児で仕事を辞めざるを得なかった分、今度は夫が休んで子育てをしたっていいじゃない、と、言いたいが、それが日本でも韓国でもまだ当然のことになっていないのは事実だ。ただ、ここで韓国と日本の違いを感じるのは、日本では夫婦が決めたことについて、親の意見は参考にはしても、決定権は基本的に本人たちにあると思うが、ジヨンの反応を見ると、姑がダメだと言ったら従わざるを得ない雰囲気だということだ。

もちろん日本でも韓国でも家庭によって差があるとは思うが、全般的に韓国の方が夫の実家との関係が深いように思う。それだけ関心を持ってもらっているということでもある。健康は大丈夫なのか、ご飯はちゃんと食べているのか、互いに思い合う温かい関係でもあるだろう。

「韓国と日本の女性の地位はどっちが高いと思う?」と聞かれると、簡単には答えられないのはそういうことだ。家庭での女性の立場を考えると、日本の方がフェアな感じもするし、だけども社会的に女性が発言しやすい環境なのは、日本よりも韓国だと思う。「82年生まれ、キム・ジヨン」の小説と映画、そして伊藤さんの民事勝訴が、日本の発言しづらい雰囲気を少しでも変えるきっかけになることを期待したい。

写真:映画「82年生まれ、キム・ジヨン」制作報告会にて撮影

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成川彩(なりかわ・あや)
韓国在住映画ライター。ソウルの東国大学映画映像学科修士課程修了。2008~2017年、朝日新聞記者として文化を中心に取材。現在、韓国の中央日報や朝日新聞GLOBEをはじめ、日韓の様々なメディアで執筆。KBS WORLD Radioの日本語番組「玄海灘に立つ虹」レギュラー出演中。

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