リトルボーイ
広島に原爆が投下されて今年で75年になった。
8月6日8時15分は広島に原爆が落とされた時間だ。毎年,この日のこの時間をなんとなく意識して生活している。とはいえ今年は仕事中で黙祷をするタイミングを逃してしまったし,ここ10年くらいは寝ていたり移動中だったりでちゃんと黙祷をできた記憶はほとんどないのだけれども。とはいえ毎年この日ばかりはちょっと原爆のこと,戦争のことを考えてみている。
ぼくは小学生3年から高校卒業まで10年間広島で育った。実家は広島にあるので1年に1回は広島に帰っている。8月6日の朝にテレビなどで放映される広島の平和記念公園は近所にあるわけではなかったけれども,ぼくにとっては身近な公園で子どもの頃に課外授業で使ったり休みの日に街で遊んだ後の休憩場所として使っていた。広島では小学校から高校まで授業で原爆のことを嫌というほど学習した。当時その学習の影響で空を飛ぶ飛行機はすべて戦闘機に見えていた。そしてその飛行機にいつか爆弾を落とされるんじゃないかと思い怯えることもあった。子どもの頃ならまだしも,いまでも飛行機が飛んでいると「もし爆弾を落としてきたらー」と怯えはしないまでも想像をしてしまうことはよくある。ちょっと大袈裟だよと思う人もいるだろうけれども,広島出身の人であれば共感してくれる人もいるのではないだろうか?
こういった戦争についての学習は都道府県どこでもやっていることだと思っていたのだけれども,そうでもないみたいだということをだいぶ時間が経ってから知った。そして大人になってから原爆について興味を持って詳しく調べていると,当時小学生で習ったことは入市被曝での放射能の影響やどういった経緯で原爆が落とされたか?など大事な部分が抜け落ちているということも学んだ。確かに抜け落ちている部分はあったのだけれども,子どものときに貴重な学習ができたな,といまでは思っている。単に「戦争を繰り返してはいけない!」と言うだけでは子どもは理解することは難しい。下手すると大人でも頭では理解しているつもりでも戦争に対して危機感を持てない人もいるのではないだろうか?ぼくが子どもの頃に広島で学習したものは語り部やフィールドワークのような体験的なものが多く含まれていた。こういったたくさんの時間を使って耳を傾けることや行動することは「戦争を繰り返してはいけない!」という意味を理解する上では必要なことではないか,と思う。それでも戦争の怖さをすべて分かったことにもならないのだけれども。
「戦争を繰り返してはいけない!」というみんなの理解はある。しかしメディアの情報を鵜呑みにしたり政府や地方自治の強権発動に大人しく従っている人たちの姿を見ているとメディアや権力を持った者のさじ加減で「簡単に戦争は起きてしまうのだろうな」と思ったりもする。というのもコロナ禍で死の危険を煽る報道に人々の行動が狂いはじめている。そして今までの常識がメディアなどの情報によって簡単に覆されてしまうということもわかってしまった。この現状をみると,例えば日本に他国が攻めてくるからと危険を煽られれば平気で今の常識からは考えられないような行動をとる人たちが沢山出てくるのだろうな,と想像してしまう。こういった考えを極端に感じる人もいるかもしれないけれども,飲食店でアクリル板越しに食事をする。こういった状況を誰が予想できただろうか?半年前と今の生活の変化を客観的にみてみれば,これまでの常識が今は通じなくなっているということを肌で感じている人もいるのではないだろうか?
話は変わって,先ほどちょっと前に出た原爆の語り部というのがあるのだけれども実際に原爆の被害にあった方の話を聴くというものだ。地元でバーをやっていた友人が毎月6日前後に自らのバーを使って語り部を呼びお客さんに聴かせるという新しい試みに挑戦していた。どういったものだろう!?と友人のバーに語り部を聴きにいったこともある。残念ながらその友人は2年前に若くして亡くなってしまったのだけれども,その語り部のイベントは引き継がれているようだ。その語り部だけれども,最近は語り部をするお年寄りの方がどんどん少なくなっているようで,語り部をやる人がいなくなっているということが問題になっているらしい。そういった問題を解決するために戦争を体験したことのない若者が語り部を引き継ぐという者が出てきているみたいだ。それはすごく良いことだと思う。良いことだと思いつつ最近はその「引き継ぐ」という行為に魅力を感じはじめている。ぼくには何ができるだろうか?ただただ自由に生きることも素敵なことだとは思うのだけれども,最近はそんなことをよく考えている。
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