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形が無くなる美しさ


 
今年に入ってある食器に出会った。
一生使える割れないサスティナブルな食器
コンセプトはもちろんのこと
その造形や曲線に心を惹かれ。
 
気に入ったものがあるとすぐに
人に勧めたくなる性分で
今回もまた様々な人にその良さについて語ってみた。
が、ある時思いがけない反応が返ってきた。


「壊れないということは一生使うんでしょう。
私は適度に壊れてくれるものがいい。」と。


壊れるものを使いたい、とは
なんとも想像していなかったため
とても興味深かった。
確かに、
安価なグラスは落としても割れないのに、
高級な某グラスや食器は
ふちが薄くてすぐにでも割れる(笑)
でも、なんというか、だからこその美しさがあるようにも思えたのだ。

 
日本人は姿のなくなるものに
美しさを感じるのかなぁ。
ということについて考えてみた。

儚げ、危うさ、のような存在や、
消えゆく姿にも心を宿す、というか。
たとえば、
桜の散りゆく姿に心を奪われ
その情景を詩や俳句、絵画などに残してきた。
欧米では朽ちていく花を
廃れていくもののようにとらえるのではなかろうか、と。
散る様を美しいと心震わせるなんて
なんて感性が豊かなんだろうと。
花火なんかもそう、
しだれて消えていく火花にさえも心を奪われる。
この感覚はなかなか一言では言い表せられない。
 
 
また、連日テレビで放映されている忌まわしい争いで
何百年もそこに存在した建物が次々と破壊されていた。
日本の住宅は1世代か2世代しか
住まないことが当然のようだけれど、
そこでは代々住み続け守り続けた住宅があった。
何百年も住める家、それが欧米では普通、である。
(まさにサスティナブル)
もちろん、
地震や水難といった天災の多い日本だからこそ
なのかもしれないけれど、
そこには当たり前だけれど
考え方の違いがあると思った。
 

諸行無常。
ともいうべきか。


そういった考え方や心持が
私たち日本人には住み着いているのかもしれないと。
そして変化していくどの瞬間にも
心を添えていくのだろうと。
 

話は戻るが、
そう考えていくと
一生涯壊れないお皿、というのは
日本人の感覚からすると少しだけ
異なった感覚なのかもしれない。
 
欠けたり朽ちたりすることが
世の流れであると考えているのだとしたら。
 
それでも
時代は変わり
考え方も多様になった今、
壊れないお皿というのも
一つの選択肢としてアリだとも思った。
 
 
要は
壊れるか否か
ではなく、
そのお皿を使うことで
気持ちがあがるなら、
それでいいということですね。
大好きだから大切にしたい。
その気持ちが何よりです。


 
※一点追記すると、
私はこの割れないお皿の
割れないところが好きで購入したというよりは、
焼き物ではなかなか出せない質感や
曲線に惹かれました。
この作品を作った方の創造力に
大絶賛中です。

何を乗せてもサマになります


 
 

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