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時間の文化・元号の話

 先日コンビニで買ったチロルチョコを紹介する。
 平成と令和という2つの時代で、それぞれの若者に流行った食べ物をフレーバーにして詰め合わせたものだ。

 ただ今回話したいのは味についてではない。
 これを食べようと出した時に目に止まったのは、菅義偉元内閣官房長官(令和おじさん)の真似をしている人のプリクラのイラストである(上写真では右半分は隠れているが)。当時中学3年生で4月1日は春休み中ながら、生徒会役員に採用された私は、生徒会の初仕事ということで午後から登校して会議があったのだ。
 その日の正午前、官房長官が記者会見で新元号の発表を行うという、小渕恵三元総理(1989年当時は官房長官)もやっていたあのスタイルである。
 私もテレビで中継を見ていた。で、その時の画面を写真に収めたのだが、「令和」と書かれているその部分をトリミングして印刷し、ファイルに入れて学校に持っていった。そしてそれを友人たちの前で掲げてみせたっていうちょっとした思い出がある。その紙は先生に“貸した”つもりなのだが、返ってくることはなかった。職員室の席にずっと貼られていたという。


こよみ

 元号———それは、古代中国で始まったものだ。なぜ中国の皇帝はそのようなものを作ったか、簡単に言えば、皇帝が時をも支配していることを民に印象付けるためである。同じようなことは世界中のあちこちで行われている。
 例えばイスラム教のヒジュラ暦は、ヒジュラ(聖遷:ムハンマドが迫害を逃れてメディナに移り住んだこと)のあった西暦622年を紀元1年とするもので、第2代正統カリフのウマルが定めた。    
 暦というものは大抵、王などの支配者の名の下に制定される。カエサルは、独裁官(ディクタトル)に就任してユリウス暦を制定した(ユリウスは、カエサルの名前の一部)。現在使われているグレゴリオ暦は、先述のユリウス暦を改良したものであるが、グレゴリオとは、その時のローマ教皇グレゴリオ13世のことである(グレゴリオ、またはグレゴリウス)。
 ユリウス暦もグレゴリオ暦も西暦のうちの暦法に過ぎない。西暦とはイエス・キリストが誕生したであろう年を紀元1年とする紀年法である。

皇紀とは

 今となっては知っている人も少ないが、日本にも独自の紀年法がある。それが、明治5年(西暦1872年)に定められた「皇紀」である。それまでの太陰太陽暦を改め、西洋のグレゴリオ暦を暦法として採用するとともに紀年法として採用したものだ。
 「皇紀」は日本が建国されたとされる年、すなわち神武天皇が即位した年を紀元1年としている。ちなみにその年は、西暦の紀元前660年である。したがって、今年2023年は2683年となるわけである。
 公式の文書では元号を用いた年号と皇紀の併用されることになっていた。それまでの日本では、ある年を紀元にして1○□✖️年という数え方がなかった。例えば、神風特攻隊で知られるゼロ戦は正式名称を零式艦上戦闘機というが、これは皇紀2600年に作られたタイプのものだからそういう名前になっているのだ。

元号のいいところ

 美しい言葉、平和を願う言葉、民の安寧を願う言葉が、日本や中国の古典の中から選ばれてきた。そのような美しい時を表す方法を、私は他に知らない。

 時に、初春の月にして、気淑きよく風らぎ、梅は鏡前のひらき、蘭は珮後はいごの香をかをらす。

『万葉集』巻五 「梅花謌卅二首并序」




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