本当に「絶対」と言ってはいけないのか【Ghost like girlfriend「ERAM」】
「絶対」「確実」「間違いない」など、断定する言い回しは避けること。
ライター界ではこんな感じの、暗黙の法則みたいな、レギュレーションみたいなものがあります(私はそう思ってます)。
常識みたいな感じで、一種の責任転嫁のようにも感じられます。
法則に則るというよりは、受け取り方に余白を作る意味合いで私自身も多用しないようにはしていますが、あえて固い意思を込めて使うこともあります。
ソロプロジェクト「Ghost like girlfriend」の岡林健勝さんのnoteを読んで、思いがいろいろ湧いてきました。
以下、引用しながら綴っていきます。
わかる。わかる気がします。
自分に置き換えるとすれば「絶対読んでください」とアピールはできない。言えたとしても「読んでいただけたら嬉しいです」になるもんなぁ。
岡林さんの言う「絶対」と、冒頭のライター界のそれは微妙に意味合いが違います。当然重みも違いますが、言葉の強さみたいなものは近い気がしました。
Ghost like girlfriendの音楽が悩みのはざまにいることもなんとなくわかるし、だから魅力的なのだとも思う。
泣いていいですか?
優しさって誰のためなんだろう、と考えてしまいます。
この二作品は間違いなく、私にとってGhost like girlfriendの最高傑作です。
アルバム『ERAM』の表題曲。
夜中にラーメンを食べるという何でもない日のことが、妥協なき強さで何かを打ち砕くように、それでいて柔軟な心がじわりと満たしていくような音楽に変わるなんて。
まるで絡み合う濃厚スープとちぢれ麺!
私はこの曲を聴いて、2022年に何度も何度も涙を流しました。たぶんもうそれが答えです。
私の運営しているCulture Cruiseというサイトでは、その年の100曲プレイリストを作り、そこから5曲選んで記事にするという企画を毎年行なっています。
今年はどの曲を選ぶかまだ考えていないけれど、この曲を選んでいる自分だけは浮かんでくるのです。
岡林さんのnoteを読んで改めて聴くと、迷いながらも貫徹した凛々しさのようなものを感じます。
人間の解釈というのはつくづく自分勝手ですね。
でも、受け取る側がこんなに自分勝手なのだから、作り手も自分勝手で良いのではないかと思います。
嫌になったらそっと離れればいい。嫌でなければ、自然と曲がアーティストとリスナーを繋いでくれると思うので。
何かを創造するには衝動が必要だし、その衝動を支えるのは自己満足なのだと思います。それが刺激的なスパイスになり、個性的な味になる。
動機が何であれ、その作品が素晴らしければ受け入れられます。
絶対という言葉を使いたくなったら使えばいいし、使わなくても、曲を聴けばそこに絶対領域(意味が変わってくる!!)が含まれていることもわかります。
Ghost like girlfriendの曲はそれが伝わるから素晴らしいし、思いをnoteに込めてくれた岡林さんは、やはりとても正直で優しい方だと思いました。
私も、空気だけで絶対を伝えられるライターになりたいです。
記事では容赦なく使うかもしれないですが、その時はそれだけの意思を込めて使います。今までもそのつもりだったし、これからもきっとそうです。
まだまだ、言葉に操られている自分だなぁと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。