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女子大生、結婚を語る。

「結婚を語る」なんてたいそうなことを書いているが、なんてことはない、ただの読書感想文のようなものだ。


私は大学生であり、結婚が可能な年齢になってから2年ほど経つわけだが、まだ結婚というものがよくわからない。


ちょうどこの前テレビドラマ『リコカツ』が最終回を迎えた。

毎週楽しく見ていたので、それが終わってしまうのはなんだか悲しい。

年中恋愛迷子な私だけれど、そんな私なりにもこのドラマを観ながら「ここのところわかりあえないのかよ…!!」とか、「もっと話し合えばお互い理解しあえるはずなのに…」などと、一丁前に意見してみたりしていた。

主人公の二人はお互いをわかりあってはいなかった。しかし、お互いの幸せを願い、愛する気持ちは共通していた。

私はこれをみて、「わかりあっていないのにうまくいくとは、不思議だな。まあ、お互い好き合っているのならそんなこともあり得るのか。すごいな。」などと考えていた。

そんなとき、大学の図書館で『困難な結婚』という内田樹先生の本を見かけた。

実は私、高校生の頃から内田樹先生が気になっている。

高校の古典の先生が配っていた新聞のコラムに先生の文章が載っていたのだが、その記事にひどく衝撃を受けたのだ。

能についての記事だったと記憶している。

なにせ約1年前の話なので、正確性を保証することはできないとはじめに断っておこう。

内田樹先生は趣味で能を習っているそうだ。

これが、費用がかかるうえに、いくら練習しても本番の舞台の緊張といったら言葉にできないほどすざまじいものだという。

同じ教室に通う医者の能仲間が「手術よりも緊張する」と言うくらいだそうだ。

そんなとき、本番の舞台で、筆者本人だか能仲間だかどちらか忘れたが、まあ、誰かが演技で間違いをしたそうな。

「しまった。」と思ったが、間違えてしまったものはしょうがない。

そのまま演技を終えて舞台袖に戻った。

そうすると、師匠やら能について詳しい人までも、「いい演技だったね」と、その人が間違えてしまったことに気づかなかったそうだ。

能の本質は、決められた通りの動きをすることではなく、この上ない緊張感の中で、それに打ち勝つことにあるのではないのだろうか。

絶対に失敗できないという、何にも代えがたい重圧が、不思議と能にはあるらしい。

それに耐えることで、この先自分にものすごく重いプレッシャーやらなんやらがのしかかってきたとき、それらに堪えることができるようになる。

すなわち、能とは重圧の予行練習、又は自分を鍛える一種のトレーニングと言えよう。

とまあ、こんな内容だった気がする。

私はこれにひどく感銘を受けたのだ。

なるほど、こんな見方があるのかと思った。

そして、能にも、これらの出来事からこんな考え方ができる「内田樹」という人物にも関心をもった。

帰って「内田樹」と検索をかけてみると、当時私が大学生になったらぜひやりたいとおもっていた合気道の有段者で、しかも自分の道場までもっているとわかった。


かつ、東京大学文学部仏文学科卒。ちなみに当時の私は大学でフランスについて学びたいと思っていた。


この3コンボにより、勝手にご縁を感じた次第である。


だいぶ前置きが長くなってしまった。

いつものことであるが。

まあ、そんなことでこの本の題名と作者にひかれて手に取ったという次第である。


そして、この『困難な結婚』という本、もう、またもや感嘆の嵐であった。

私は前述した通り、結婚についてほとんど無知である。

当たり前だ。

結婚なんてしたことはないし、誰も結婚について教えてくれる人はいなかったのだ。

せいぜい学校の先生が授業中に話す雑談として聞く程度である。(「奥さんからのお小遣いが少なくて~」とか、「この前、奥さんと家事のことで喧嘩になって~」といったようなものである。)


この本の中でも特に印象深いのは、「結婚生活を愛情と理解の上に構築してはならない」という言葉だ。

思い出してほしい。

最初に述べた、私の『リコカツ』の感想を。

そうだ。

この言葉で、全て打ち砕かれた。

もう粉々である。

この他にも、あらゆるところで私の「結婚観」は打ち砕かれまくった。

まじで。本当に。

そして己の無知を自覚するに至ったわけである。

恋愛について、自分が経験豊富ではないにしても、著しく経験不足な人間ではないと思っている。

だが、やはり無知なのだ。

恋愛を理解すれば結婚も理解できると思っていたが、そんな簡単な話でもないらしい。

そもそも私の恋愛観すら脆弱なものだったのだ。

そして、この先このまま生きているだけで無知から脱却するのは不可能に近いと感じた。

ああ、こういうときに本を読んで先人の知恵を借りるのか。


本の内容は読めばわかるのでここでは割愛させていただく。


ただ、相手は「よくわからない」人であるが、そんな「よくわからない」人とともに生活することが「奇跡的なことである」ということ、そして機嫌よくいることが結婚に限らずとも、他人との共同生活において最もと言ってい良いほど大切なことであるということを、胸に刻んでおきたいと思う。


結婚について語ると言いつつ、内田樹先生について語って終わってしまったような気がする。


題名詐欺もいいとこである。申し訳ない。

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