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第三則 倶胝竪指(ぐていじゅし)

三 倶胝(ぐてい)、指を竪(た)てる

 倶胝和尚は、問答を仕掛けられた時、決まって指を一本突き立てるのみであった。

 ある時、和尚に仕えている童子が、機縁の中で、寺にやってきた客に問われた。

「お前の和尚は、お前にどうやって仏法を説いているんじゃ?」

無題22

そこで、童子も和尚同様、人差し指をピンと突き立てた。

無題16

これを聞きつけた倶胝和尚は、童子を呼び寄せるや、即座に刃(やいば)をもって童子の指をスッパリと切り落としてしまった。

無題19

童子は、痛みに堪えず号泣して走って逃げた。

無題15()

すると倶胝和尚は、「おーい」と童子を呼び止められた。

無題24

―― 呼ばれた童子が振り返る。―― 今度は倶胝和尚が「スー」と自分の指を立てられた。

無題20

――その途端に童子はいっぺんに開悟してしまった。

無題25

――さて、倶胝は、遷化せんとするその間際、寂滅を拝まんと集まってきた大衆に向かって説かれた。

「私は天龍和尚から一指頭の禅を得たが、一生かかってもそれを使いきることが出来なかった」

と言って、すぐに息を引き取られた。

 無門は言う。

「倶胝も童子も、指先ぐらいで悟ったわけではないぞ。もしお前たちにその本当のところが見抜けるものなら、天竜和尚、倶胝和尚、そして童らと一緒に、お前ら自身も一串に刺し貫かれるであろう」

 次いで頌って言う。

倶胝は天竜小馬鹿にし、光る刃で子供を試す。

巨霊の神は造作なく、崋山の山を引き裂いた。

勝手に意訳

第二則の野狐(やこ)禅と同じく、一つの解釈として、

・悟った人のモノマネをしても(本当の)悟りではない

・ただの理解だけではなく、体験が大事

ということ(指を切断するのはやりすぎだと思いますが・・)。

ただの頭だけの理解で楽になれないことは、本人が一番分かっているはずなんだけど。

悟らないとどうしても「悟った後」のことは想像するしかないから、当たり前だと思うけど。

本当に「自在」でなければ、やっぱり何だか引っかかる。

頌については簡単に。

なぜ天竜和尚を小馬鹿にしたことになるのか。

もともと、倶胝和尚は天竜和尚から「一指頭の禅」を授かったそうだけど、天竜和尚は(悟らせるため)ただ指を一本立てて見せただけ。

指なんか切断していない。

わざわざ大袈裟に指なんか切り落として、師の顔にドロを塗るようなことしちゃって・・、という嫌味。

まぁ、無門も同じ様な気がするけど・・。

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