諸行無常
約2年続けてきたブログ(私≠思考)のサーバー移行に失敗し、バックアップデータ含め全て消失してしまう。。
諸行無常な感じで少し悲しいけど、消えてしまったものは仕方が無い。
有料でバックアップデータから復元できるみたいだけどそれも癪だし。。
noteでちまちま更新してきた記事もあるので、折角だからnote1本でやります。
テキストはちょこちょこ残ってるので気が向いたら再掲するかも。
唯一良かったのは優しいお言葉を頂けたこと(有難うございます)。
サイトのWEBメール(@iniwano.net)へご連絡頂いていた方へは別にメールしますので、新たに登録頂けると嬉しいです。
取りあえずデータ消失記録のついでに諸行無常について記事を更新・・。
いろいろな捉え方や定義があるけど、あらゆる現象には固定した実体がなく、一切のモノは変化し続けているということ。
多くの人は「固定した実体」というものが「実在する」と感じている。
良くある例で「私(自我)」には「固定した実体がない」と言うけど、直観(経験)的に、物心ついた頃から「ずっと同じ私が続いている」と感じる。
諸行無常とは言っても、変化するとしても、同じ私(成長した同じ私、年を重ねた同じ私)と言う前提がある。
「同じ私」の構成要素は「記憶等」だけど、よくよく考えると「記憶」や「肩書」の中身が異なっても「私」は「私」と感じてしまう。
例えば夢の中の私は、姿、形(性別すら)、家族、友達(同僚)が、現実といくら異なっても、夢の中の「私である」と感じる。
ということは、この身体、記憶とは関係ないところで、「私で(が)ある」という働きがあるということ。
もっと言うと、「私である」の根底には、「~で(が)ある」という認識の働きがある。
そして、この働きは、あらゆる現象に対して作用している。
今、目の前にスマホ(PC)がある、向こうに目をやれば外の風景がある、全て認識としての作用(様子)としてある。
そして、認めている主体(私)すら認められている。
全ては認められている対象(現象)に過ぎない。
対象(現象)であれば、それはただ起こっているだけ。
対象(現象)は常に移ろい変化している。
手の付けようがない。
だから「放っておく」(思考すらも)。
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