第一尋牛(じんぎゅう)
序
従来失せず、何ぞ追尋を用いん。
背覚(はいかく)に由って、以って疎(そ)と成り、向塵に在って遂に失す。
家山漸(ますま)す遠く、岐路俄(にわ)かに差(たが)う。
得失熾然(しねん)として、是非鋒起す。
序(意訳)
従来失せず、何ぞ追尋を用いん(はじめから見失ってはいないのに、どうして探し求める必要があろう)。
はじめから「本来の自己」は失われていないのに、どうして(他を)探し求める必要があるのか。
そもそも、それを全くの別モノだと勘違いしてしまうからだけど、(だとしたら)探し求めているそれは、全くのまがい物であって、最初から存在すらしていない。
ないのに、ある前提で探そうとするから迷うのであって、それに気付くのはまだ先なのだけれど。
まずは物心付いて、分別しだしたのが(自己の)はじまり。
背覚に由って、以って疎と成り(覚めている目をそらせるから、そこにへだてが生じるので)、
(そもそも)「ない」モノを、何処かに「ある」と倒錯するから、「ある」と思う方へ目を逸らせる。
此処から彼方へ視線を移せば、此処は見えない。
向塵に在って遂に失す(塵埃にたち向かっているうちに(牛を)見失ってしまうのだ)。
探しても探しても(ないのだから)見つかるはずもなく、ついには完全に見失ってしまう。
家山漸く遠く、岐路俄かに差う(故郷はますます遠ざかって、わかれみちでたちまち行きちがう)。
本来の自己は思考の網の目に完全に覆いつくされ、(成長し)知識や経験が増せば増す程、僅かに一念が生じただけで、自我(の世界)の深みへと、どんどん迷い込んでいく。
得失熾然として、是非鋒起す(得ると失うとの分別が、火のように燃えあがり、是非の思いが、鋒のほさきのようにするどく起こる)。
あちらにモノやコトをたて、こちらに自己を認めてしまえば、(私が)得たの失っただの、是非を観ずる思いが、瞬時に沸き起こる。
頌
茫茫撥草去追尋(茫茫として草を撥(はら)い去って追尋す)
水濶山遙路更深(水は濶(ひろ)く、山は遙(はる)かにして、路は更に深し)
力盡神疲無處覓(力盡(つ)き、神(しん)疲れ、覓(もと)むる處(ところ)無し)
但聞楓樹晩蝉吟(但(た)だ聞く、楓樹(ふうじゅ)に晩蝉(ばんせん)の吟(ぎん)ずるのを)
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