尊厳ある死

今年はSF小説が面白い

中学だったか高校の頃、眉村卓にハマって、SFファンになった。当時はムーなんて雑誌も読んでいたっけ。

昨年末に古本屋さんで48億の妄想/筒井康隆と出会った。

僕が8歳だった1976年に発売されたこの作品。

自己愛や承認欲求が膨らみ、個人のプライバシーをメディアにどう観せるかばかりを考え右往左往する人々を描いていて、最終的にその中枢いる主人公がある人物との出会いによって、虚無な社会と決別し自分の道を歩き始めるって内容。

どの時代でも自分の道を選び歩き始める時には何かと決別をしなくちゃいけないと教えてくれたのはアドラー先生だけれど、ちょうどこの本を読んだ時が自分の落ち込んでいた時期と重なって、主人公の生き方にちょっと共感を覚えたりしたんだよね。

ケン・ローチやポン・ジュノが描いた格差

家族を想うとき/ケン・ローチ」と「パラサイト/ポン・ジュノ」を立て続けに観た。

どちらの作品も大きなメッセージとして格差社会を描いる作品。

社会という大きなうねりの中で必死にもがき抗う人々。

パラサイトを観終えた時、ふと、48億の妄想とこの2つの映画は話の展開は違えど、最終的にはどちらも自立がメッセージになっていんじゃないかなってふと思った。

社会と個人は決して切り離せない。

社会という大流の中で僕らは生きていて、「意志」で流される事なく留まっていたり、別の場所へ泳いで行っている。

でも、不条理という流木にぶつかって飲み込まれてしまったり、そのまま流されてしまったりする事もあるし、そうした人もいる。

そして人々は死にゆく

先日、「渚にて 人類最後の日/ネヴィル シュート」を読んだ。

核戦争によって死へと向かい始めた世界で、人々がどういう死を迎えるのかを描いた作品で、SFというか淡々とした展開に何と言うか、胸が熱くなって、ウルっときてしまった。

そこでも描かれていたのは、自分の意志を尊重し、その生き様を全うしようとする人々。

「渚にて」ってタイトルは秀逸。

人類最後の日ってサブタイトルいらないだろーって位、読了後は心に染みる。kindleで読まなきゃ良かったw

そういや、家族を想うときも原題のままが良かったろ!って思っちゃったんだよな。

でね、

先に書いた映画と本は「社会と個人」というワードでつながっていて、「渚にて」を読んで、死というワードが浮かんできた。

終活という言葉があるけれど、僕らはどういう終わりを迎えるのだろう。

なんだか、今更当たり前の事を思うんだけれど、宇宙空間だったり、戦争という極限状態であったり、歴史や環境とかそこで右往左往する人を描く作品は多々あるし、そこで得られ、現れる感情も色々だ。

でも、その人にフォーカスすれば、それぞれに意志や死が必ず見えてくる。

わたしは、ダニエル・ブレイク」見ると、痛烈に伝わる。

終わりを考えるから見える事

誰にも逃れられない死がある。

僕らは、どう社会とつながって、どうつなげたのか?

どう人生を生き抜いたか?

51歳にして、新入社員。

あと何年動けて働けるだろう?

まだ楽しもうという気持ちで臨んでいこう。

と、ここまで書いて、そういや「万引き家族/是枝裕和」の安藤サクラの取り調べシーンでの顔を思い出した。

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