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開拓時代/2007.06.17

私が仕事として北米に渡ったのは2000年の少し前。
ブログを書いていた頃は既に帰国していましたが
自転車の仕事としてまさに誰もやっていないことを
始めた時代。
個人的には開拓した時代です。

よく言われることは
渡米前に英語を勉強していたんでしょ
自転車レースメカニックって業界では有名
どうせチームとコネクションあったんでしょう

残念ながらどれもありませんでした。
まずは英語。
もちろん必要なことはわかっていたけどどうしようもない。
よくあるのは現地の駐在を言い渡されたので
会社で英会話教室に経費で通わせてもらえる。
フリーランスなのでこれはありません。
でも思い返すと日本での義務教育で英語が得意でなくて
よかったかな。
だって変な自信があるからその違いでショック受けますし。
どうしようもないときは素直になります。

レースメカニックってF1のタイヤ交換とかで有名で
なんとなくレースに帯同して自転車の調整をする。
そんなイメージですが全く違います。
自転車メカニックはなんでもやります。
簡単にいえば「走る以外の仕事は全部」です。
まさかメカニックがクルマの洗車とかホテルの手配とか
しているとは思われない。

最後のコネクション。つまり関係者を殆ど知らなかった。
当時に日本にはレースがありましたがそれは
国内ローカルレース」のみ。
そこから武者修業として海外メジャーレースに
参加するのはライダーのみ。
メカニックで行くにはまず海外チームに所属が必須。
当時は海外にそんな人間関係も無く。
当時はメールやSNSがなかったのでfaxを送りまくりました。

英語がしゃべれず
自転車のメンテナンス能力がわからず
かつ、誰の紹介でもない。

でも面白いのは
自転車のレースメカニックだけで生活したい。
と思った一年後にはアメリカのレース会場にいたのです。
もちろん、偶然も重なりましたが。

まさに「開拓」。
よく映画でみる開拓時代のイメージです。
英語がしゃべれない。
自転車の専門用語は現地では殆ど使えなかった。
それでもテレビで言葉を少しずつ覚えて慣れたら
少しずつコミュニケーションがとれるようになった。

レースメカニックの中で自転車以外のことを沢山
やるけどたまたまそれが苦にならなかった。
あの頃は全てが新鮮で楽しかった。
きっと渡米時点で退路を絶ったのもよかったかな・

メンテナンスでは失敗ばかり。
でも性格的にしぶといので何度でも
失敗するうちに失敗がほとんど無くなった。
結局やる前に不安だった要素が少しずつ
無くなっていった。

仕事は楽しまないといけないを実践したのです。
もちろん「行く」とって実行したのは有言実行
でしたがそれよりも思いの強さがあったのかな。
今となったらどうでもよいし細かいことは忘れました。

何かを始めたい。
そんな時に自分が勝手につくるイメージは
ほとんどが杞憂。
なんとかなる。
もちろん準備は必要だけどそれよりも大事なのは
気持ちです。
それも「あきらめない」気持ち。
出来ないとブレーキをかけるのは自分だし
そこでアクセルを踏めるのも自分

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